秋の雛｜リアクション

秋の雛

　お堂を出て社務所へ向かう。
　小窓から声をかけると老いた住職が出てきて、素焼きの盃に酒を注いでくれた。
「厄除けと長寿を願う菊酒でございます」
　盃はひとつだ。
　近所の高校の制服を着た柚春は未成年と一目でわかるので、ウォルターの分ということだろう。
「菊は不老長寿のを象徴するおめでたい花でございます。また、菊の芳香は邪気を祓うともいわれております。その菊の花を一夜漬けしたのが菊酒です」
　満たされた盃に、窓辺に活けてあった黄の菊の花びらを添えようと住職が手を伸ばしかけたところに割り込んで、柚春はウォルターに上目遣いで頼んでみた。
「僕は菊酒を頂けないし、お酌もダメだろうから……じゃあ、花びらを添えるだけなら？」
　ウォルターが目顔で住職に尋ねると、住職はにこりと頷く。
　どうぞ、ということらしい。
「黄色じゃなくて、赤とか白の花びらにさせてもらってもいい？」
「かまいませんよ。庭の花でお気に召した色がございましたら、二三枚、花びらをお持ちください」
「ありがとうございますっ」
　柚春は跳ねるように庭に飛び出していく。
（黄色はだめ。黄色の菊の花言葉は『破れた恋』なんだもの）
　柚春は人より鼻が利くようで、香りには並みならぬ興味を持っていた。アロマを調香してバスボム作ったり、フレーバーティを作ったりもする。香りやハーブ自体の効果については今も学びの最中だし、関連付けてたまに花言葉も調べるので、その方面の知識も増えたのだ。
　柚春は状態のよい白と赤の花びらを見つけ、二三枚拝借すると、戻って菊酒の上に浮かべた。
「どうして白と赤？」
　ウォルターが尋ねる。
「それは……紅白って、おめでたい感じがするから」
　口にした理由は嘘ではないが、本当でもない。
　告げずに意識したのは白と赤の菊の花言葉のほうだ。
（白菊の花言葉は『誠実、真実』、赤は……『あなたを愛しています』）
　どうして日本では紅白がおめでたいんだろうねぇ、なんてのんびりした口調で話すウォルターは、花言葉のことは知らないに違いない。
　なんとなく悔しいような気持ちになって、盃を口元に持っていきかけたウォルターの腕をつかむ。
「香りだけかがせてよ」
「そんなこと言って、飲まないでよぉ」
「……飲まないよ？」
「生徒に飲酒させたら懲戒免職になりかねないからねぇ。僕はかなりいまの仕事が気に入っているから、もう少し寝子高の教師でいさせておくれよねぇ」
「だから飲まないってば」
　二人のやり取りを、住職は愉快そうに見守っている。
　授業か文科系の部活動で、古き良き文化の体験に来たのだとでも思っていそうである。
　飲まない、と確約を取り付けたウォルターは、ならどうぞ、と柚春に盃を手渡した。
　柚春は左手で盃を持ち、右手を団扇のように仰がせてそっと香りをかいでみる。
「これは……香りが控えめな日本酒に花を漬け込んでたのかな。菊の香りが移ってるね」
　お判りになりますか、と住職はすこし嬉しそうだ。
「僕、香りについてはいささか詳しいんです。それを面白がった両親に付き合ってたら、色と香りで利き酒の真似事ができるようになっちゃって」
「左様でしたか」
　ほっほっと笑った住職は、柚春にもお茶を淹れてくれた。
　湯呑のなかにはふんわりとピンク色の菊花が浮いている。
　ピンクの菊の花言葉は、「甘い夢」だ。
「菊花茶でございます。アルコールは入っておりませんから、学生さんでも大丈夫ですよ」
「ありがとうございます。では改めて……ウォルターさんの健康と長寿を願って。乾杯」
「乾杯。重陽の節句だからメインは女の子でしょ。僕より君の健康と長寿を願って、だねぇ」
　素焼きの盃と、白い陶磁の湯呑の縁が音を立てて重なり合う。
　清涼感のある菊の香りが喉元を通り過ぎてゆく。