あなたの望む過去｜リアクション

あなたの望む過去

　タキシードの人物はにこやかな表情で立っている。片方の目尻の辺りには、初対面では認識が難しいと思われる軽微な強張りが見えた。
　山田勘三郎は黒い髪を振り乱し、がらがらの大きな声で主張を続けた。
「ここまでの説明でわかっただろ。ギガ焼きそばパンの溢れ出る魅力が」
「はい、お客様のおっしゃられる通り、十二分に魅力が伝わりました」
「そのギガ焼きそばパンを目の前にして食えなかった、おれの切ない気持ちもわかるだろ」
　勘三郎は目頭を押さえて俯いた。いつもは誇らしい鷲鼻が萎れて見える。
「ご心中、お察し致します」
「そうだろ、そうだろ。俺の前を歩いてた奴の落とした五百円に気を取られたばかりに、俺は百円という大金を失ってしまった。ギガ焼きそばパンの貴重な財源の消失だ。あの時、定規とガムがあれば俺は勝利者になれたんだ！　この悔しさ、口では語り尽くすことができねぇ！」
「そのお言葉、首を長くして待っておりました」

「おう、そうか！　っておい、どこだよ、ここは？」
　時間帯は夕方。空の雲が焼き立てのパンのようであった。
　駅前に繋がる通りに勘三郎は制服姿で立っていた。
「それにおれ、ガムなんか噛んでたか？」
　勘三郎はガムを指で取り出して、もう一度、口の中に放り込んだ。
　注意を促すかのように前方から金属音が聞こえた。自動販売機の溝に目を向けている人物がいた。一目で無理と判断したのか。未練のない足取りで立ち去った。
「これって過去じゃねぇのか」
　勘三郎は持っていた鞄の中身を確かめた。当然のように一本の定規が入っていた。凄味のある笑顔になった。
「今度は失敗しねぇぜ。五百円とギガ焼きそばパン、両方ゲットしてやる！」
　勘三郎は自動販売機の前にしゃがんだ。試すかのように溝に手を伸ばし、思い留まる。
「おっと、あぶねぇ。ポケットの百円を確認しないとな」
　ズボンのポケットには剥き出しの百円が入っていた。落とさないように財布の中に収める。
「これで大丈夫だぜ」
　勘三郎は改めて溝に指を入れた。やはり、過去と同じで届かなかった。
「まあ、そうだろうな。だがな、勝負はここからだぜ」
　定規の先端に噛んでいたガムを貼り付けた。溝の幅に合わせて平たく成形していく。
「これでいけるだろ」
　溝に定規の先端を差し込んだ。ゆっくりと降ろしていくと、カツという音で底に行き着いた。
「まだ安心はできねぇ」
　上から見ながらコインの側面に思い切り定規の先端を押し当てる。そのあとで上昇を開始した。
　勘三郎の表情が徐々に笑顔に変わって、よっしゃあ、と叫んで喜びを爆発させた。
「これで五百円はおれの……って、あれ？　これ、ゲーセンのメダルじゃねぇーか！」
　投げ捨てようとして上げた手が、何故かポケットに収まる。ま、使えるし、と勘三郎は呟いた。
「こんなことしてられねぇ。五時を回ってるじゃねぇか」
　腕時計の時間に急かされ、勘三郎は駅前のパン屋に急ぐ。
　目的のパン屋の店頭には小規模な行列が出来ていた。外のワゴンが目当てで、『ギガ焼きそばパン百五円特価セール』というポップが見て取れる。勘三郎は荒い息で最後尾に付けた。早く、早く、と心の声が口から漏れる。
　ようやく自分の番が回ってきた。売り子が悲しそうな顔をしていた。
「ごめんなさいねぇ」
　勘三郎は一目で理解した。限定三十個のギガ焼きそばパンが乗っていたと思われるワゴンには、何もなかった。ただの白い台に勢いのあるポップが虚しさを倍増した。

「畜生、白なんて大嫌いだ！」
　戻ってきた勘三郎は捨て台詞を残して走り去った。
「またのお越しを、お待ちしております」
　タキシードの人物はドアに向かって深々と頭を下げた。