あなたの望む過去｜リアクション

あなたの望む過去

　突然の白い空間に浅山小淋は辺りを見回した。長い黒髪の後頭部のリボンが羽ばたくように動いた。不安げな顔で持っていたスケッチブックに急いで文字を走らせる。
『タキシードさん、ここはどこなのでしょうか』
「過去創造館が正式名称となります」
　小淋はスケッチブックの真ん中にクエスチョンマークを書いて見せた。
「当館はお客様が希望する過去を体験していただくことができます」
『それで未来は変わりますか』
「お客様、それは叶わない望みとなります」
　相手の言葉を静かに受け止める。小淋は青い瞳を画用紙に向けて、しっかりとした文字で意思表示した。
『それでも見たい過去があります』
「では、お客様の過去を拝見させていただきます」
　白い空間の一部に賑やかな教室が現れた。
『中学三年の時の』
　書いた文字が乱れた。小淋は青い瞳を見開いた。目の前で展開される教室の様子に心を奪われているようだった。
「あんまり質問攻めにしないでよぉ」
　たくさんの同級生に囲まれていた女子生徒が自分の席を立った。気ままに歩く感じで空いた席に座った。
「よかったら、名前を教えてくれないかな」
　隣の机で文庫本を読んでいた少女が顔を上げた。机の端に置いてあったメモ帳に手早く文字を書き込む。
『ごめんなさい、声は出せないので。名前は浅山小淋と言います』
「そうなんだ。こっちこそ、知らなくてごめん」
『謝らないでください。私が悪いのです』
「え、なんで？」
　素の顔で聞かれた小淋は似たような表情で返した。
『なぜでしょう』
　その書き込みを見た相手は声を上げて笑った。屈託のない笑顔に小淋の表情も和らぐ。
　二人の楽しそうな遣り取りを目にした小淋はスケッチブックに力強い文字を書き込んだ。
『私は過去に戻って彼女の飛び降りを止めたいです』
「承知致しました」
　相手の声に小淋は厳しい表情で一礼した。

　カーテンを閉め切った薄暗い部屋で目覚めた。大気の冷たさに身体が震える。
　小淋は思い切って掛布団を撥ね除けた。起き上がってすぐに制服へと着替え、寝癖の付いた頭で部屋を飛び出していった。
　数十分で彼女の家に着いた。神経質そうな指が連続でチャイムを押した。
　中からカーディガンを羽織った母親が出てきた。小淋の顔を見て、あら、と意外そうな顔をした。
「あの子なら朝早くから出掛けちゃったわよ？」
　小淋は無言で頭を下げて踵を返した。
　大きく手を振って走る。歩行者信号では足止めを食らった。小淋は彼女に電話を掛けた。携帯電話の呼び出し音が鳴り止まない。表情に焦りが生じる。
　信号が青になった。小淋は走ることに専念した。中学校の校舎が見えると、更に速度が上がった。

　鉄製の扉を吹き飛ばす勢いで開けた。激しい呼吸で小淋が校舎の屋上に踏み込んだ。
　屋上には誰もいなかった。目で確認したあと、強張った表情が緩んだ。
　思い付いたかのようにフェンスに駆け寄り、弱々しい目を地上に向けた。俯せに倒れている者はいなかった。
　その時、ポケットの携帯電話が震えた。彼女の母親からの電話はたどたどしい声で伝えてきた。
　小淋は、その場にへたり込んだ。青い瞳から大粒の涙が零れる。大きな口を開けて空に向かって叫ぶように泣いた。
　無声映画のヒロインのようだった。

　白い空間に戻ってきた。小淋はスケッチブックに文字を書き込む。
『また彼女を助けられませんでした。今度は車に轢かれてしまいました』
「申し訳ありません」
　沈痛な面持ちで相手は頭を下げた。
『謝らないでください。彼女みたいですよ。それに』
　小淋はリボンに触れてから言葉を書き足した。
『彼女のリボンはしっかりと受け取りました』
　少し潤んだ瞳で小淋は笑って見せた。