あなたの望む過去｜リアクション

あなたの望む過去

　夢宮瑠奈は不思議そうな顔で店の前に立っていた。ドアの上部のステンドグラスが街灯の明かりを受けて虹色に輝く。
「新しい喫茶店ができたのかも！」
　一本に結んだ茶色の髪が小さく跳ねる。薄桃色のワンピースの裾を靡かせて瑠奈は正面のドアを押し開けた。
「……白い砂浜みたい」
　瑠奈の素直な感想であった。無限に続くかのような白い空間が目の前に広がっていた。
「いらっしゃいませ」
　横手からの声に瑠奈は驚いた顔を向ける。白いタキシードを着こなす、麗人のような人物が柔らかい笑みを湛えていた。
「このお店は喫茶店、ではないですよね？」
「はい、違います」
　満面の笑顔の否定に瑠奈は、えっと、と言葉に詰まった。そのような客の態度に慣れているのか。にこやかな笑みを絶やすことなく、流れるようにサービス内容を語った。
「体験してみたい過去……」
「はい、そうです。事情の説明が難しい場合は、当館で部分的に再現を行います。よろしいでしょうか」
　瑠奈は黙り込んだ。苦しい決断を迫られているかのような表情で小さく頷いた。
「では、前の空間をご覧になっていてください」
「あの辺りですか」
　瑠奈が指差した空間に穴が開いた。現在と過去を繋ぐ丸いトンネルのようでもあった。
「あれは、昔のあたしとママ」
　小さな幼子を励ますように女性が微笑んでいた。辺りの床には、ひしゃげたビールの缶が転がっていて悲惨な状況を窺い知ることができる。
　割れた窓の近くには男が立っていた。手には黒い拳銃を持っている。
「犯人に告ぐ！　無駄な抵抗はやめて人質を解放しなさい！」
　外からの拡声器の声が響く。うるせえ、と犯人の苛立った声に幼子は小さく震えた。女性は笑みを絶やさずに頭を撫でる。
　しばらくして異変が起こった。巨大地震の前触れを思わせる、大量の鼠が走り込んできたのだ。幼子は悲鳴を上げた。焦点の合わない目で、助けて、と絶叫した。
　叫び声を切っ掛けに銃撃戦へと発展した。女性は咄嗟に幼子を懐に抱えた。
　過去の生々しい再現に瑠奈は戦慄いた。
「ママがあたしを庇って、いなくなったからパパも家に帰って来なくなって。ご飯だけは手紙と一緒に届けられた……あたしがママみたいなアイドルになったら、パパが戻ってきてくれると思った。でも、あの時にあたしが叫ばなかったら、鼠が救出作戦と知っていたら、きっとママは――」
「お客様の希望を承りました。母親が生きていた場合の過去を体験していただきます」

　男性が夕飯の支度に追われている。幼い姿になった瑠奈はテレビを観ていた。昔のアイドルが伸びやかな声で歌っている。
「ここはあたしの家？」
　瑠奈はテレビの前から離れた。キッチンの方から包丁の音が聞こえてきた。
「パパ、パパなのね！」
　瑠奈は走り込んで父親の片脚に抱き付いた。
「ママがお仕事だから寂しくなっちゃったのかな」
「……違うよ。ちょっと嬉しかっただけ」
　瑠奈は父親の脚に顔を引っ付けた。
　間もなくして夕飯を迎えた。小鉢の煮付けを口にした瑠奈は驚いた顔をした。
「届けられるご飯と同じ味がする。こんなに美味しいなんて」
「それは良かった」
　向かいの席で父親は朗らかに言った。
　消し忘れたテレビから曲が流れる。
「GOストレート、ママの曲！」
　席を立った瑠奈はテレビの画面を食い入るように見つめた。曲を口ずさみ、手足が微かに動く。
「アイドルみたいだね」
　父親の優しい声に瑠奈は口にした。
「あたしがアイドル」
　画面の中の母親は幸せを振り撒く。元気な歌声は瑠奈の胸の中にストレートに届いた。
「あたしもなりたい。みんなを幸せにするアイドルに」
　その後、瑠奈は父親と一時の食事を心から楽しむのだった。

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