あなたの望む過去｜リアクション

あなたの望む過去

　桜月は紫を基調にしたイブニングドレスで館に訪れた。
　白い空間は強い太陽光を連想させるのか。月は驚いた様子で傘を開いた。白い長髪と赤い目はアルビノの特徴を仄めかしている。
　タキシードの人物が近づいて館の説明をした。聞き終えたあとも月は傘を手放そうとはしなかった。
「私は生まれつき、色素が薄い。だから、髪と肌が白く、瞳は赤い。そんな私を両親は気味悪がった。遠いところに住んでいた祖父母に預けた」
　月は相手を窺うような目をした。温もりを与えてくれるような微笑みに言葉を続ける。
「もしも、私に人並みの色素があったら。髪や瞳が黒かったら、お父さま、お母さまは私を愛してくれたのだろうか？　祖父母に預けられる前の四歳くらいを体験したい」
「では、正常な色素で産まれたことを前提とした過去を再現致します」
　タキシードの人物は一分の隙もない笑顔で恭しく頭を下げた。

　月は大きなベッドで目を覚ました。
「私の過去の記憶と違う」
　月は上体を起こした。カラフルな滑り台が目に留まる。近くには小さなジャングルジムが置いてあった。
　月はベッドから降りた。パジャマ姿で壁際に向かう。大きなクマの人形が座っていた。背中に乗れそうなキリンもいる。
　月は薄いピンク色のドレッサーを横目で見つけた。鏡に今の自分を映し出す。
　黒い髪は短く刈り込まれていた。瞳は黒く、肌は程良く焼けたトーストの色だった。
「私の姿、男の子みたい」
　月は部屋を出た。廊下を歩いていると、テレビの音が聞こえてきた。
「あれはお父さま、お母さまもいる」
　月は部屋の様子を覗き込む。父親は大きなソファーの隅に座ってテレビを観ていた。母親は手前のテーブルで朝食の準備を進めている。丸みのあるティーポットからカップに茜色の液体を注ぐ。
　漂う香気に月は身を乗り出した。
「そんなところにいないで、入ってらっしゃい」
　微笑んだ母親が手招きした。振り返った父親は、こっちにおいで、とにこやかに言った。
　月は迷うように歩いて、父親の横にちょこんと座った。その様子に父親が目頭を指で押さえる。
「パパは悲しいよ。月ちゃんの指定席はパパの膝と決まっているのに」
「でも、いいの？」
「もちろんだよ」
　父親は笑顔で月を抱き上げて膝に乗せた。
「あなた、程々にしてください。朝食が冷めますよ」
「わかった、わかった」
　拗ねた子供のような仕草で父親は月を膝から降ろした。
「いろんな種類のパンがあるでしょ。キイチゴのジャムもあるわよ。月ちゃん、いっぱい食べてね」
　母親は籐かごを少し傾けて中のパンを月に見せた。
「ありがとう」
　月は恥ずかしそうにいうと、籐かごのロールパンを手に取った。艶やかな表面に齧り付いて口をもごもごと動かした。
「甘くて美味しい」
　飾り気のない感想に両親は手を叩いて喜んだ。
　食べ終わったあと、今度は小さなデニッシュにジャムを塗る。側にいた母親が月を抱き締めた。上手にできたわね、と我が子の成長に感極まった声を出した。
「……私、覚えている」
　月は遠い目をして呟いた。
　朝食を終えると父親が張り切った。
「月ちゃん、パパと遊ぼう。庭で駆けっこだ」
「うん、いいよ」
　太陽を恐れる必要は無かった。黒い髪に黒い瞳。それに健康的な肌は太陽を決して恐れない。
　太陽光が降り注ぐ、白い世界に月は元気に飛び出していった。

　飛び込んだ先は白い空間だった。
　月は戻ってきた。待機していた人物に微笑む。
「私、覚えていた。この優しさを受け取っていた。お祖父さま、お祖母さまが幼少の私に与えてくれていた」
　相手は黙って頷いた。
「ありがとう、私は大切な事に気づけたよ」
　月は真っ直ぐな視線で感謝の言葉を口にした。