やまぬ雨音 - falling of the rain｜リアクション

やまぬ雨音 - falling of the rain

　唇に痛みが残っている。血の味も。甘みも。
　咬むようなキスだった。
　昨夜、冷たい刃のような犬歯で朝鳥さゆるは姫木じゅんの唇を破った。じゅんは針で突かれたような痛みと、それを上まわる甘い疼（うず）きを覚えた。
　まどろみからは覚めている。瞼はおろしたまま、じゅんは傷跡を薬指でなぞった。
　悪意（Malice）のふたつ名を持つ存在が、じゅんとさゆるの間に割って入ったのは二週間前のことだ。毒蛾の繭と転じた臥所で、女たちは一睡だにせず情欲をともにした。だがMaliceを含めた交わりは、飢えた蟲どもが腐肉を奪いあうに似て、悦楽はあれど安らぎはなく、熱はあっても温かみはなく、充足することもけっしてないものだった。喘（あえ）ぐたびに心の欠損は面積を増し、蜜を啜（すす）ろうとも渇きがおさまることはない――そんな一夜だった。
　昨夜、Maliceが朝もやのなかに姿を消して二週間の節目を待っていたかのように、さゆるはじゅんを求めた。じゅんもまた、待ちかねていたとばかりにさゆるを受け入れた。そうしてふたりは、二匹の白い蛇となり絡まりあったのである。
　交歓は荒波のように激しくはじまったものの、やがて凪いだ海のように互いを認めあい慈しみあう、長くも穏やかなものへとうつろい、深く静かなところに着地した。それこそ、あの女が残していった悪意の残滓を上書きするような場所へと。
　やっぱり、とじゅんは思う。
　あたしには、こういうのが一番。
　思い出すだけで満ち足りた気持ちになる。さゆるもそうであってほしいと願う。
　ベッドがたわんだのをじゅんは感じた。
　さゆるが起き上がる気配がした。
　朝？　いや、まだね。
　じゅんはまだ目を開けない。
　さゆるが夜半に目を覚ますのはこれがはじめてではなかった。じゅんも眠りは浅いためそのたび気がつくが、指摘したりせずいつのまにかまた意識を海に沈めるのが常だった。
　……。
　さゆるは身を起こしたままでいるようだ。
　幽（かす）かに動いたようだが横たわることもなく、ベッドから降りることもなくそのままでいる。
　弱冷に設定したエアコンの作動音が、伽藍にひびく詠唱のように聞こえていた。
　けれどもこれをはるかに上回るのは、窓に浴びせられる雨音だ。風のうなりも。ふたたび空は、龍がのたうつような嵐となったらしい。
「……雨って嫌い」
　じゅんはつぶやいた。

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