夏の夜の読書会｜リアクション

夏の夜の読書会

　
◆梓智依子の場合。

　14歳でシングルマザーになった梓智依子は娘を出産してからこの４年間、育児に専念してきていた。
　学校生活と子育ての両立は並大抵の努力でできる事ではないが、それを智依子は続けてきている。
　そんな彼女が読書会に持参したのは『ブレイキンサマー』という少女漫画だった。

　新書やハードカバーを持ち込む者たちが多い中、漫画を持ってきたのは彼女だけ。
　小説でないと駄目とか、漫画は本じゃないとか、口に出して言う者はいなかったが、やはり驚きの目を向ける者はいた。
　けれど智依子は気にしない。
　この４年で遠巻きにジロジロ見られることには慣れていた。彼らは頭が硬いだけ、グッピーの群れにまぎれ込んだこの美しい金魚が、はたして自分をおびやかす存在か、そうでないかを気にしているだけなのだ。

　となりの席の人が発表と質疑を一通り終えて、智依子の番がくる。

「私は梓智依子。寝子高の普通科に通う高校生です」

　テーブルに伏せていた表紙を立てて智依子がみんなに紹介したのは『ブレイキンサマー』という少女漫画だった。

「この漫画の主人公は小学４年生の女の子です。街角で偶然目にしたブレイクダンスに衝撃を受けたこの女の子は、ダンススタジオに入って、そこでさまざまな人たちに出会います。
　スタジオの先生、同じスタジオに通う者、そして参加した大会で共に競う者たち……ダンスを通じて出会う彼らと時にぶつかったり、時に手を取り合ったりしながら育んだ友情や恋を体験して、幼かった少女はそれまで知らなかった世界を知っていき、心身の成長を果たすというのがこの本の主軸となっています。
　私がこの本を読むきっかけになったのは、この本が発売された当時小学２年生で、やはりダンススタジオに通っていたことが大きかったと思います」

　自分とよく似た境遇の主人公に、幼かった智依子が他の漫画以上に共感を持ったのは当然だろう。
　ただし、似ていたのはそこまでで、それまでダンスを踊ったことがなく、ダンサーなら踏めて当然の簡単なステップすらまともにできずに四苦八苦していた主人公と違って、智依子は若干８歳にしてすでに才能の片鱗を見せており、同期の子たちや先輩たちを尻目に11歳でストリートダンス全国大会小学生部門で優勝という快挙を果たすなど、その才能を遺憾なく発揮していたわけだが。
　おそらくそのままいったなら、18歳の今、智依子は天才ダンサーとして芸能プロに所属、日本国内に及ばず活躍の舞台は海外へと広がって、世界的に脚光を浴びていただろう。世界中の有名なプロダンサーと互いに研鑽し合いながらますます己の能力を高め、さらなる飛躍を果たしていたに違いなかった。

　そんな智依子に転換が訪れたのは、13歳のとき。プロになることを視野に入れ、それまで通っていたスタジオから、何人もプロを養成、輩出してきた有名スタジオへと移ったときだ。
　そこにいたコーチと恋に落ちて、娘を身ごもった。
　彼女の世界は一変し、スターへの道から転げ落ちた彼女は普通の13歳であったら体験しないようなことを幾つも体験して、今は寝子島に住む祖父母の元に身を寄せシングルマザーとして生活をしている。

　簡単なあらすじの説明からおすすめポイント、興味を示した参加者からの質問に答える間、智依子の頭の中に走馬燈のように４年前の出来事、この４年間の日々がよみがえる。

（この漫画は本当に私の人生を変えた。私はこの漫画の結末とは別の道を歩んだけど、それでも自分が選んだことだから後悔していない。だって、この作品のおかげで私はあの子に……楓に出逢えたんだもの）

「他にご質問がなければ、これで終わらせていただきます。ご清聴ありがとうございました」

　終始堂々として、発表も質疑応答も終えた彼女に、参加者たちの中の印象が変わる。
　智依子を見る彼らの視線は、感心、称賛へと変わっていた。
　

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