霊界紀行～迷いの森～｜リアクション

霊界紀行～迷いの森～

５．

　その頃、翔太の妹――涼香の恐怖はいよいよ最高潮に達していた。
「えーん！　えーん！　怖いよぉ！　お腹空いたよぉ……！」
　すでに声も枯れ、涙も枯れ果てる直前であった。
　それでも、いや、だからこそ涼香は最後の力を振り絞るように大声で泣き続けた。
　もはや涼香に自力で両親のもとに戻る体力も気力もそもそもの手だてもなく、彼女が生き延びるためにできる唯一の手段が大声で助けを求めることだった。
　だが、皮肉にもそれが、人の肉を喰らう危険なあやかしを招き寄せる。
　しゅるりしゅるり、と音を立てて、濡れ光る野太い触手が涼香の足元に迫っている。
　涼香はまったく気づく様子はなく、延々と泣き続けている。
　その間にも、触手はゆっくりと微小な音のみを立てて近づいていく。
　やがて、やわらかな生きた肉体を射程に捉えた触手が大きくその身をしならせて、獲物にとびかかろうとするその瞬間――。
「危ないッ！！」
「え……？」
　アシュリーが弾丸のような速度で木陰から少女に向かって肉薄し、彼女を守るように抱きかかえながら地面に転がり込んだ。
　直前、隠れていた木の幹に拳を叩きつけて発動させたろっこん――激情の力で脚力を高めて地面を蹴って走ることで為し遂げた荒業であった。
　結果、獲物を捕らえることは叶わず、空を掴むことになった触手が中空で絡まり、地面にだらりと落下する。
「……な、なに？　それにお姉ちゃんは……？」
　その様子を涼香はわけもわからずに声を震わせている。
「……大丈夫。あんたはあたしが守る。だから、もう泣かなくていい」
　そんな彼女にアシュリーは男性的な頼もしい微笑を浮かべながら、ゆっくりと頭を撫でてやる。
　涼香はこくりと頷く。もう、それ以上は泣かなかった。
「いい子だ」
　アシュリーは、激情の力で強化した身体でしっかりと涼香を抱きかかえると、鋭い目で周囲を見まわした。
　そこには、一体、二体……三体以上の蛸男がいた。
　蛸男の群れの動きは決して俊敏とは言えないが、ようやく見つけた獲物を逃がすまいと油断のない動きでじわじわとアシュリーを取り囲むように近づいてくる。
　アシュリーはその包囲網がもっとも薄い一点を見定めると、刹那涼香を抱えたまま全力で走り出した。
「悪いけど、この子は返してもらうよ！」
　触手を鞭のようにしならせて追いすがる蛸男には一瞥もくれずにアシュリーは疾風のごとく森を駆ける。
　蛸男達が唸り声をあげて、そんなアシュリーの背中を追う。もはや彼らにはアシュリーしか見えていない。
　それが彼女達の狙いだった。
「今だよ！　冬華ちゃん！」
「ええ！　任せてください！」
　次の瞬間、蛸男の両の側面から木の枝を構えた真白と冬華が飛び出した。
『！？』
　驚いた蛸男が身を強張らせる。
　そこに二人が「せーの！」のかけ声で同時に木の枝を叩きつけた。
　真白のろっこん――「鋼の如く」により、文字通り鋼のような硬さとなった枝で思いきり殴られた蛸男は、触手で頭を抱えながら地面にのたうちまわる。
『『！？！？』』
　知能の低い蛸男であるが、それゆえに痛みにのたうちまわる仲間の姿に大きな動揺を見せた。
「真白さん！」
「うん！」
　その隙を突いて、冬華と真白は視線を通わせ――
「逃げましょう！」「逃げるよ！」
　一目散にその場から駆けだした。
　三十六計逃げるに如かず。
　特段、戦闘向きの能力を持たない二人にとって、子供を助け出せた今、危険に身を晒して戦闘を続ける理由は何もないのだった。
　蛸男の足は速くはない。
　程無くして、途中で速度を緩めて二人を待ってくれていたアシュリーと合流し、無事に涼香を連れて温泉に帰ることに成功したのだった。

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