【ささいな悪戯の代償は】

　蝶ネクタイがついに一つ回収されたらしい。
　放送でその言葉が流れた時に、霧谷 朧はこの事件はそんなにこじらせず解決しそうだなと思った。
　それを証拠に、今をもってしても早速、目の前の少女恵御納 夏朝が自分の折りたたみにゃんこ傘にごめんねと叫びながら、無慈悲に蝶ネクタイを重ね付けしている当事者としか思えない変人を叩きのめしている。

　夏朝と犯人【信者】はこちらの様子に気付いていない。
　……悪魔が朧に囁いた。
　『これはろっこんの練習に使えるんじゃね？』
　朧の能力は一時的に自分の姿を所有物と共に消すというもの。
　これならば、犯人も周りもびっくり、そして無害にろっこん練習まで行える。
　お徳三昧だ！　天使の声など聞こえない。朧は躊躇い無くそれを実行に移した。

　傍らで、何か企んでいるかは髪に隠れて見えない朧と、その表情に向けて。
　渡り廊下の上から器用にも逆さまに覗き込むようにして、窓から中の様子を伺ってにやりと笑った存在がいた事に気付かないまま……


　そんな企みに満ちた存在に気付かないまま、傘で殴るバスッボスッガキっという生々しい音を聞きながら、朧は一旦人影に戻って、目を両手で覆いろっこんを発動させた！
　「もういいよ」

　【発動条件】
　目を手で覆って「もういいよ」と言う
　【能力】
　服を含め自分自身、所有していたものが透明になる。「おしまい」が解除合図

　「…………よしっ、いい感じじゃん？」
　これでめでたく完全透明である。さて、傘に巻き込まれる前に蝶ネクタイを奪おうと、既にグロッキーと化している【信者】の後ろに気付かれないようにそっと手を伸ばして、蝶ネクタイのスナップボタンをパチリ。

　「な……！　蝶ネクタイが！！」
　「浮いてるっ…どうして……っ！？」
　「ぎゅぅ……俺じゃないっ、断じて俺ではないぞっ！！　って、ああ蝶ネクタイが飛んでいく！」
　こうして蝶ネクタイは朧の手に渡った。ああ、確かにこれは悪用も可能だよなぁと改めてしみじみと思う。面倒くさいので朧自身はやらないが。
　しかし、この蝶ネクタイ何か──

　曰く「──私をつけて──」

　不思議な感覚に駆られて、言葉のままに青色の蝶ネクタイを身に付けてしまう。
　瞬間──今まで誰も見向きもしなかったはずの朧に、その場の夏朝と【信者】の視線が集中した！
　見れば、自分でも分かる。蝶ネクタイをつけたこの姿は見事なまでに他の人に丸見えだという事に……

　「ちょっ、まっ！　なしてろっこん解けてんよ！？」
　「犯人がまた一人……！」　
　「いや、あのまっ……これから返しに向かうところ！　そうっ、返すところだから！」
　慌てて振るように手を掲げると、何と意識せずに向けた手から水が噴出した。これも蝶ネクタイに宿った力のようだったが……

　「水濡れ……ねこシールも剥がれちゃったし……」
　「助かった！　助かった！　君こそ同志！！」

　小声だがその水を正面から浴びた夏朝の怒りは、既にマッハを超えていた。しかも、よりによって【信者】が朧に向かい同志だと叫び続ける。
　──これはまずい。人の気に人一倍繊細な朧は自分が窮地であることを心より実感した。
　「けどさっ、まだ説得だって間に合うは、ず……！」
　
　「はいさ、見ましたよっと。そのお人はそこの蝶ネクタイ泥棒と確定グルさぁ。
　あっしの両目がしかと、昼休みに悪巧みしている相談現場を目撃したんだから間違いない」　

　声の主は外から開かれた窓から現れた。
　ひょいと軽業のように大した歩数も取らずに、渡り廊下に降り立つ。その人物の名は骨削 瓢。
　そう、今の今まで屋上から渡り廊下の外天井まで。虎視眈々と蝶ネクタイを狙っていたチャンスを今、絶好のチャンスで発揮しようとしていたのだ。

　夏朝は、既に無言だった。『敵』として認識された朧が、髪にこそ隠れて見えないが今にも泣きそうな状態となっている。
　「俺は何もしとらんよ～っ！　ぎゃあーーーっ！」
　本日何度と無く振り下ろされる折りたたみ傘。夏朝お気に入りの一品だっただけに叩く時には傘への謝罪を忘れない。何時も付けて持ち歩いている可愛いパペットのにゃんこも一緒にお仕置きだ！

　そんな──朧が濡れ衣を着せられている間に、瓢は既に足腰立たなくなっている【信者】にひょいひょいと近寄り、躊躇い無く残り２つの黄色、赤色の蝶ネクタイと当然の如く外して自分に付け替える。
　それが、今までダメージを受けていたとはいえ余りにも自然であったから、違和感を確認するまでに時間が掛かった。

　「き、君は味方か……！」
　「ん～にゃ。まったく」
　「オマワリさーん！！」

　そのまま当然の如くやはりひょいひょいと去っていったのを後目に、仮にも先に蝶ネクタイをつけた【信者】がおまわりさんの名前を叫ぶのは、全く不思議な光景であったが。
　その場にいた一同が、それぞれ冷静を取り戻した時、その場の蝶ネクタイは朧のつけていた青色のもの以外、いくら動けないからとはいえ【信者】から全て剥ぎ取られたのである。
　それも、余りに自然な仕草で。

　「……………」

　見事に騙されてしまった夏朝が、どう文面を打つべきか悩み、現状の情報だけでもと、ねこったー上に情報を送る。
　「ごめんね、混乱しているからどう言っていいか分からないけれど……だまし討ちにあって、蝶ネクタイ奪われちゃった……赤と黄色。
　生徒さんの中にもリボンが欲しい人がいるみたい。気をつけて」


　そして、
　ほんの些細ないたずら心から始まったにも拘らず、
　一気に裏切り者の汚名を被り、更には青い蝶ネクタイを付けたお陰で、校長室で蝶ネクタイを外した際に『まるで世界全てから相手にされず孤立したような気分』を味わってしまった朧に、心からの黙祷を……