いつも見頃の万年桜｜リアクション

いつも見頃の万年桜

　霊界の銀朱駅の近く。痩身の梓時治郎がふらりふらりと歩いていた。蓬髪を雑に後方で一つに束ね、同調して背中でぶらぶらと揺れている。浅葱の羽織には点々とした血痕が見られた。左腰に差した愛刀『椿丸』は多くの人間の生き血を啜った。
　生前に染み込んだ習慣なのか。気配を感じると勝手に右手が柄を握った。
「いけねえな」
　吊り上がった口角で柄から手を離す。
　殺伐とした雰囲気を和ませるように眼前を小さな物体が舞う。時治郎は片手突きの格好で素早く掴んだ。右の掌を開くと薄桃色の花弁であった。
「桜、か」
　飛んできた方向に血走った目をやる。木々の向こうから微かな笑い声が聞こえてきた。
「……柄じゃねえが」
　鼻で笑うと木々の間を抜けていった。

　全身が甘い香りに包まれた。時治郎は満開の桜に、ほう、と感心したような声を漏らす。間もなく遠い過去を探るような目付きとなった。
　――俺が生きていた頃の幕末の京都を思い出す風景だ。春になると方々で桜が咲いていたな。
　笑みが深くなる。
　――もっとも、あの頃の俺は新選組の隊士として忙殺された。市中見廻りに御用改メ、仇なす者を斬り伏せることに尽力していたな。桜を眺める風流な心なんぞ、持ち合わせていなかったが。
　思考を中断した。肩が小刻みに動く。時治郎は声を出さずに笑っていた。
「おっちんで気付くたぁ、大した玉だぜ」
　いつになく陽気な状態で時治郎は歩き出す。ゆるゆると歩きながらも目は警戒を怠らなかった。
　――魑魅魍魎がうじゃうじゃいやがる。人も混ざってやがるな。世の中の変化は霊界まで及んでやがるのか。
　ふと表情に一抹の悲しさが滲む。
　――隊の仲間は散り散りとなった。女房や倅もいやしない。俺自身、大昔の存在に成り果てた。なんで自我を失わないのか。わかりゃしねえ。幕府も侍もいねえ世の中になっちまったのに。
　目は満開の桜に向かう。賑わう人々にも関心を寄せた。悲壮感を抜け出し、自然な笑みへと変わっていく。
　――花は春に咲き、人は酒に酔う。
　時代が変わっても、根っこの部分は同じなのかもしれねえな。
　不意に足が止まった。大きな桜の木の下に鬼達が群れていた。体躯に相応しい盃を傾け、豪快な声で笑っている。
　その中に一際、大きな鬼がいた。目にした瞬間、右手が刀の柄を握る。その殺気に気付いたのか。赤鬼は野太い声で話し掛けてきた。
「新選組ではないか。いつもの黒衣はどうした？」
「よく知ってるじゃねえか。闇討ちや不意打ちは性に合わねえ。目立つ格好で堂々と道の真ん中を歩きてえのさ」
「命知らずの果てにあやかしになりよったか。まあ、よい。今日は万年桜で杯を交わそうぞ」
　赤鬼は丸太のような腕で招く。隣にいた青鬼が顔を顰めた。
「酒呑童子様の寛大な心に感謝するのだぞ」
「へー、お前さん、あの伝説の酒呑童子なのか？　俺も生前は『人喰い鬼』なんぞと呼ばれたもんだが、本物に会えるとは思いもしなかった」
「酒宴に名は必要ない。ただ陽気に呑み、騒げばよい」
「梓式古流剣術を嗜む者としちゃあ、手合わせしてみてえところだが、今日はそんな雰囲気ではねえな」
「その外連味、気に入った。早う、座れ」
　赤鬼は上機嫌で盃に酒を満たす。時治郎は空いているところに適当に座った。
「すまねえな」
　盃を受け取ると一息で呑み干した。
「良い酒だ」
「銘酒『鬼惚れ』という。口に合ったようで何よりだ」
「ただ、隊の馴染みの顔がいねえのが、ちと寂しいが」
　向かいに座っていた一本角の青鬼が厳めしい顔で立ち上がった。
「鬼の副長とはおいらのことでぇい！」
「確かに鬼だが、土方さんはそんな団子鼻じゃねえ」
　時治郎の軽口に周囲の鬼達は挙って笑った。

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