いつも見頃の万年桜｜リアクション

いつも見頃の万年桜

　寝子島の旧市街の路地をゼロ・シーアールシーが気ままに歩く。ふんわりとした純白のワンピースに身を包み、ロングウェーブの銀髪を弾ませて丁字路に突き当たった。
「甘い匂いがするのですー」
　瞳を銀色に光らせて左右に目をやる。右手に古ぼけたアパートがあった。庭はなくプランターや鉢植えも見つからない。
「左にいくのです」
　数歩でゼロは小刻みに息を吸った。
「良い匂いなのですー」
　乏しい表情でほんの少し足を速めた。緩やかな風が生まれ、周囲の光景が煽りを受けて砂糖のようにさらさらと崩れた。

　ゼロは薄暗い雑木林の中にいた。怯える表情を一切見せず、光が零れる方向に身体を向けた。じっと見つめたあと、弾むように歩き出す。
「甘い匂いが強くなってきたのですー」
　大きくなる光の中に鮮やかな色が混ざる。最後の一歩は大きく、飛び込むようにして入っていった。
「霊界のお花見なのですー」
　感激とは程遠い声で両腕を水平に広げた。満開の桜が視界を埋める。花見に訪れた者達の陽気な声が方々から聞こえてきた。
「桜がいっぱいなのです。ゼロもお花見をするのですー」
　一方に決めてふわふわとした足取りで進んでゆく。
「きれいら桜らろれすぅ」
　宙を逆さまで漂う幽霊はしゃっくりをした。風に流されるように緩やかに飛んでいった。
「みんな楽しそうなのですー」
　ゼロの足取りは軽い。無表情で奥へと突き進む。
「鬼がいっぱいなのですー」
　左斜め前で鬼達が車座になって盃を傾ける。ゼロの姿が目に入っていないのか。肴を手掴みで頬張り、また酒を呷った。
　ただ一人、梓時治郎はゼロと目が合った。盃の手が止まり、訝し気な目を向けてきた。
「おひさしぶりなのですー。幕末以来なのですー」
「ん、俺を知っているだと？　幽霊じゃねえようだし、妙な嬢ちゃんだな」
　時治郎が盃を大きく傾ける。喉を鳴らして飲み、大きな息を吐いた。
「なんだったんだ？」
　僅かな時間でゼロは姿を消していた。

　大勢の人々が群がる。見物していた一人が熱い声援を送った。
　ゼロは引き寄せられるようにして集団に紛れた。隙間をもそもそと動いて先頭に出る。
「なにか食べているのですー」
　痩せ細った老婆がお椀の中身を箸で掻っ込む。斜め後ろに控えていた女性が一口大の豆腐を素早く入れた。
「山姥の食欲を舐めるんじゃないよ！」
　気合の入った声で再び口の中に豆腐を掻き入れる。女性が新たな豆腐を加えた。
　興味を持ったゼロは主催者らしい豆腐小僧の元に行った。
「ゼロもわんこ豆腐に参加するのです」
「歓迎するぜ。豆腐の美味さも味わってくれ。それと制限時間は五分だ。健闘したら記念品をやるぜ」
「がんばるのですー」
　山姥の挑戦が終わるとゼロの出番になった。椅子に座って目の前の簡易机に置かれたお椀を眺める。中には艶やかな四角い豆腐が入っていた。
「それでは始めてください」
「いただきますなのですー」
　添えられた箸を持ち、お椀の中身を口に入れる。数回の咀嚼で飲み込んだ。
「ほんのり桜の香りのする美味しいお豆腐なのですー」
　感想を言っている合間に新たな豆腐が入れられた。ゼロは吸い込むようにして食べる。
　淡々と動作を繰り返し、数を重ねてゆく。
「おい、あの嬢ちゃん。なかなかやるぞ」
　見物客の一人、雪男が牙を剥いて笑った。
「美味しいのですー」
　口にしながら食べ進める。
「時間になりました。最高記録更新とはなりませんでしたが、小さな身体でとても健闘してくれました。皆様、盛大な拍手をお願いします」
　女性の心からの声に見物客は沸いた。
「よくやったぞ！」
「凄い記録だ！」
「大健闘だな！」
「ありがとうなのですー」
　ゼロは椅子から立つと観客の方に向かってお辞儀をした。
　豆腐小僧は拍手と共に記念品を差し出した。
「がんばったな。これは健闘した証だ。受け取ってくれ」
「大事にするのですー」
　豆腐小僧を象った白い根付を、そっと手の中に包み込んだ。
「またお散歩をするのですー」
　ゼロは気ままな散歩を楽しんだ。
　目にした屋台で稲荷寿司を購入した。
「晩御飯の時に食べるのです」
「いろいろな味を楽しんでください」
　糸目の店主は笑みを浮かべた。

　甘い香りが強くなり、気付けばゼロは棲家に戻っていた。西日が射し込む部屋はオレンジ色に染まっている。
「いろいろな味を楽しむのですー」
　手を洗ったあと、稲荷寿司を口に運んだ。
「ピリ辛の味噌味が美味しいのですー」
　淹れた緑茶を合間に飲む。個々の味を堪能したゼロは最後に口にした。
「霊界は食べ物が美味しいのですー」

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