【残り香、いつまでも】

　七尾 蒼也の手には、シローくんから分けてもらった灰袋。これが不思議なシロモノで、いくら振りまいても無くならないというなんとも奇妙な灰なのですけれど……どうやらそれは除草業者の霊犬たちがもつ黒い灰も同じであるようです。
「ま、つまり、作戦はシンプルだ」
　ひょいと手の中で灰袋を弄びつつ、蒼也はあたりに漂う花々の香りを胸いっぱいに吸い込みます。
「見えなくたって……あの子も、この香りを楽しめるはず」
　誰を思い浮かべたか、ふと優しげな笑みを頬に宿して。
　てけてけててっとやってきた霊犬たちを前に、蒼也の作戦開始です。
「よっ、お仕事ご苦労さん！」
「ん？」
　さっそく桜並木へ黒い灰を振りまこうとした霊犬たちへ、蒼也はフレンドリーに声をかけました。
「調子はどうだ？　寝子島は広いし大変だろう」
「やあ、また会ったね。確かに大変だが、しかしまあ、これが仕事なのでね」
　黒柴のクロが気さくに答えると、仲間たちもこくこく。
「島中に灰をまいてこい、終わるまで帰ってくるなよ！　なんてさ～」
「エラそうなんだよね～あのじいさん」
「意地悪だワン」
「でもまあ、雇い主だからねえ」
「仕事があるだけでもありがたいワン」
　霊界にもフケイキとかあったりするんでしょうか。
　それはさておき素直な感情を向けてくれる犬たちへ、蒼也が用意したのはちょっとお高め、高級ドッグフード！　もちろん取り合いにならないよう、きっちり１０頭分です。
「おおっ、これワン！？　まさか、くれるのかい……？」
「疲れたろ、ちょっと休憩しないか？　これ食いながら、俺とおしゃべりでもしよう」
　ワワワワ～ン！
　缶を開けてあげると、霊犬たちは大はしゃぎでお高めフードをがつがつがつ、すごい勢いで食べ始めました。意地悪と評判の雇い主のもとで、あまり良い食事は与えられていないのでしょうか。
（このペースじゃ、あまり時間がなさそうだな。手早く済ませよう）
　お食事と小粋なトークで犬たちの意識を惹きつけながらに、蒼也の手がしゅぱぱぱぱ！　ひらめきます。
　狙うは犬たちのしっぽにくくりつけられている、黒い灰の入った小袋です。これをちょちょいのちょいっと細工しまして……。
（よしっ。すり替え完了！）
　意地悪じいさんの黒い灰は、花咲か印の白い灰に。これで霊犬たちがいくら灰を振りまこうと、問題なし！
「いや、うまかったワン。君、すっかりご馳走になってしまったね」
「いいんだ、仕事の礼さ」
「うん？　礼？」
「まあ、前払いってことで……いやいや、なんでもない」
　これで犬たちがお仕事に邁進しても、花や草木が枯れてしまうこともありません。まあ、面食らってしまうかもしれませんけれど。
（よし、作戦完了！　あとは……）



「枯れ木に花を、咲かせましょー」
「日本一の花咲か印～っ！　わんっ」
　薄野 五月とシローが灰をまけば、すぽぽぽぽんっ！　たちまちキンギョソウにビオラ、デイジーパンジーと花たちがにぎやかに咲き乱れます。
　ふたりに合流した蒼也は、どこから持ってきたやら、つけヒゲをしゃきんと装着して花咲かじいさんルックで灰まきです。
「あはは、じーちゃんそっくりだ～！」
「おっ、そうか？　じゃ、花咲かじいさんの名に恥じないよう、ばっちり花を咲かせないとな」
「あちらにまだ咲いていないところがありますねー。咲かせてしまいましょー」
「「おーっ！」」
　三人して枯れ木に花を、日本一の～、と灰をまきまき。花を咲かせておりますと。
　とてとてとてとて。
「君、なんてことをしてくれたんだ！」
「おや、先ほどの霊犬さんたち？」
　除草業者、十匹の霊犬たちがやってきてはワンワンキャンキャン。やかましく詰め寄る矛先は、蒼也です。
「灰をすり替えただろう！」
「黒い灰がよくみたら白くなってたワン！」
「花を枯らすはずが、咲いちゃったじゃないの！」
「これじゃお給料もらえないワワーン！」
　えらい剣幕で……犬なのでよく分かりませんけれど、ともかく蒼也へ飛びかからんばかり。
　けれど蒼也はけろりとして、落ち着いておりました。実のところこの展開、彼には想定内であったのです。
「まあ聞け。お前たちの仕事は、灰をまくことだろう？」
「そうだワン！」
「草木や花を枯らせるのが仕事だワンワン！」
「いやいや、お前たちは意地悪じいさんに言われたはずだ。『袋の中の灰を全部まいてこい』とな」
　そう。霊犬たちに課せられたお仕事はまさしく、『灰をまく』こと。そういう業務、そういう契約なのです。
　もとより彼らは犬！　かわいいかわいいワンちゃんです。あんまり複雑なお仕事ができるわけではありません。必然、雇い主たる意地悪じいさんも、もっとも直接的なひとつの仕事を彼らに命じたはず……というのが、蒼也の予想でありました。
「『草木や花を枯らせてこい』と言われたわけじゃない。『灰をまけ』、だ。お前たちは実に真面目に仕事をしたじゃないか」
　まあいささか強引な論法ではありまして、五月などはこくりと首を傾げましたものの、
「……おおっ？　言われてみれば」
「灰はまいたワン。花は枯れなかったけど、灰はまいたワン！」
「大丈夫、ちゃんと仕事してた！」
「「「よかったー！」」」
　彼らも別に好き好んで、花を枯らしたいわけではなかったようです。
　なるほど、となりゆきを見守っていた五月もうなずいて、言いました。
「それでは、いっしょに灰をまきましょーか？　そのほうがきっと楽しいですよー」
「おお、それは良い。そうしようワン」
「「ワンワンワン！」」
　みんなで白い灰をぶわわーっ！　花はこれまで以上にぽんぽんぽぽん、咲き誇ります。
　ライバル業者がこぞって自分の仕事を手伝い始めたことに、シローくんはミケンにシワなど寄せまして、
「ええーっ、いっしょにやるのー？　意地悪じいさんとこの犬なのにさあ」
「まあそういうなよ。あいつらだって、花を枯らすより咲かせるほうがいいだろう？　犬は飼い主も仕事も選べないからな……俺はちょっとだけ、選択肢を与えてやっただけさ」

にっ
　それでも仏頂面な柴犬の頭を、五月はぽむっ。
「これで、花咲か印の評判もウナギノボリですなー。ふっふ」
「あっ、そういやそーだね。ラッキーわん♪」
　さあさ、みんなでごいっしょに。
　枯れ木に花を咲かせましょう♪



　五月と蒼也、シローくん、そして十匹の霊犬たちが咲かせる花々は寝子島中に満ちて、かぐわしい香りを風に乗せ、隅々にまで届けます。花たちは目で、香りで、人々を楽しませてくれました。
　梓 智依子が愛娘と温泉につかるところへ、ふわりと風は舞い込みます。
　山を下る三毛谷 道哉にも香りは届き、在りし日の思い出が再び彼を包み込みました。
　早川 珪と並び、帰路をゆく綾辻 綾花にも。
　七夜 あおいと庭園の散策を楽しむ八神 修にも。
　馴染み始めた猫鳴館へ戻り、お土産に買ったマカロンをほおばる月原 想花のもとにも、香りは届きます。
　ヒュー・ヒューバートは花弁舞う夕暮れ空に、城山 水樹の涙の意味を問いかけます。
　同じ空を見上げた鴻上 彰尋は、家族に囲まれながらも、そこに恋想う少女の面影を見ました。
　壁も道路も花咲いて、お店やビルも満開です。誰もが今日という日を、存分に楽しんだことでしょう。
「おかげさまで、花がいっぱいだよー！　五月、蒼也、ありがとわーん！」
　ぴょいんと跳ねて、しっぽフリフリ。シローくんは上機嫌なまま、またね！　と霊界へと帰っていきました。
　彼は黒柴のクロを始めとした、意地悪じいさんのところの霊犬たちを雇い入れてくれるよう、社長こと花咲かじいさんへ頼み込んでみるのだそう。
「上手くいくといいな」
「そうですねー。そうしてまた、寝子島へ遊びに来てくれたら、嬉しいですねー」
　いつかまた、彼らはわわわん、わわん！　と灰をまきにやってきてくれるかもしれません。
　その時を楽しみに……ふっふ！　笑う五月の頬を、花の香りをはらむ風がするり、やわらかく撫でていきました。