【花見花風】

　春といえば？
　そう、ラブコメですね！
（今月も新作がたくさん出るからね。豊作豊作）
　とほくほく顔で身支度を整える、月原 想花。手違いで入寮した猫鳴館での暮らしにも慣れ……まあ隙間風びょうびょうの苛烈な住環境やらたくましすぎる先輩方やらに振り回されがちではありますけれど、どうにかこうにか、寝子高生活をエンジョイ中であります。
　春といえば出会いの季節。それを体現するかのように、春先から初夏にかけて漫画やライトノベル界隈では、特に良質なラブコメが多く出版されるのです。そんな気がします、たぶん。
　いえまあ冒険ファンタジー好きな想花のお目当てがそれであったかどうかはさておき、ともかく本日の彼女は書店へお出かけする予定です。今日が発売日の新作漫画やラノベがずらりと並ぶあの壮観を眺め、手に入れるべくキャットロードへ繰り出すのです。いささか内向的なきらいのある想花ですけれど、この時ばかりはうきうきと胸おどり、張り切っております。ところで今朝はなんだかどこかから甘い香りが漂っていて、猫鳴館の薄い壁を抜けて吹いてくる風が運んでくるのでしょうか？　これはどうやらかぐわしい、春めく桜の香りかしらん？
「……うん？　そういえば、今って初夏じゃ」
　と思わずつぶやいたその時、その日、はじめて想花は窓の外の光景を目の当たりにしたのでした。



　今年は花見もしていなかったっけ、と想花はぼんやり思います。
　桜は、言わずもがな。キャットロードの道端には可憐なパンジーが風に揺れ、民家の軒下にはハンギングのようにペチュニアが陽を浴びています。向こうの道にはチューリップも満開です。
　季節をちょっぴり逆戻り、新生活のあわただしさで見逃していた春の風景を、想花は思いがけず楽しみます。
「本屋へ行こうかと思ったけど……」
　新刊本とはいえ、今日その日でなければ買えないということもないでしょう。対してこの現象は、いつまで続くものやら分かりません。今日のところは、こちらを堪能してしまうのも良さそうです。
　などと考えていたら、
「こんにちは、お花見日和ですね！　よろしければ、オープンテラスで桜のお菓子はいかがですか？」
「オープンテラス？」
　カフェスタッフらしい女性によれば、花満開の今日にあやかって、日当たりの良いお外で桜のスイーツがいただけるサービスを始めてみたのだとか。
「へえ、それは……素敵ですね」
「そうですよね、ではぜひ！　お席へご案内しますので！」
「あっ、えっ。はい」
　イマイチ引っ込み思案、ビビリなところのある想花が即答できるわけもなく。目を泳がせて迷いつつ言葉を濁すと、スタッフさんちょいと強引にぐいぐいぐい。想花を引っ張って、席に着かせてしまいました。
「ご注文はお決まりですか？」
「え、ええと。じゃあ……桜の紅茶と、桜のチーズケーキ。マカロンももらおうかな」
　なんだか押し切られるように注文までしてしまいましたけれど、まあ桜チーズケーキも悪くはないでしょう。
　ほどなく頼んだ品がやってきて、想花はさっそく桜の香り立ちのぼるカップに唇を寄せ、ひと口。
（あ……おいしい）
　ほうっ、とひとつ息をついて、オープンテラスの周囲にも咲き乱れる花たちに見入ります。
　そういえば。
（こんなふうにゆっくりするのも、久しぶりかも）
　寝子島高校へ入学してからこちら、目が回るような忙しさや事あるごとに襲い来る不可思議現象等々に追われ、落ち着いてお茶をいただくなんてこともありませんでした。猫鳴館での新生活もまた慌ただしく、そして突飛なトラブルの数々にも遭いまくり襲われまくり……ただでさえ内向的な気質で苦労をしているというのに、なんだか初めの二ヶ月が二年くらいの長丁場にも感じられました。
　まあ、中にはもちろん、楽しい経験もあったりしますけれど。
（なんにせよ、忙しかったしね）
　たまにはこうしてのんびり、花見を楽しむのも良いでしょう。
　なにしろ騒がしい寝子高、寝子島生活です。これからもいくらだって、騒がしく賑やかに、楽しいことが起こるでしょうから。
「ケーキも美味しいな……あ」
　ひらひら、ふわり。頭上の樹から落ちてきた花びらひとつ、淡いピンクの紅茶の上へ降り立って、ぷかり。
　想花の頬も思わずにんまり、緩みます。



　と。ここからは少々、余談だったりしますけれど。
「あれ、月原さん？」
「え……あ。早川先生？」
　キャットロードを歩いていたらふと声をかけられて、振り向けば寝子島高校の司書教諭、早川 珪先生の顔がありました。どうやらたまたま、通りすがりの様子。
　想花の趣味のひとつは、実は詩作だったりします。入学後、流れるように図書委員会へ所属したのは、その円滑な資料探しのためか、素敵な作品へ常に触れていられる環境を求めてのことでしょうか……ともかく図書室で委員として活動するにあたり、まだそれほどの面識ではないにしろ、珪先生とは顔なじみでありました。
「奇遇だね。花見かい？」
「ええと、はい……早川先生も？　おひとりですか」
「うん？　ああ。うん、そうだね、今は……ひとりだけど」
　なんとはなしに問い返しただけでしたけれど……おやおや？　詩をたしなむ想花の繊細な感性のたまものでしょうか。
　すこうしほっぺたを赤くした、珪先生からかすかに感じる、ラブコメの波動。
　それじゃ、また図書室でね。なんて言って、そそくさと去ってゆく珪先生の背中を見送りながら、
「……ま、春だしね」
　なんだか今日は、良い詩が浮かびそう。
　あたたかい気持ちで帰路に着く、想花でありました。