スターライト・セレナーデ｜リアクション

スターライト・セレナーデ

　忙しいのはわかっていた。
　だから連日、くたくたになるのも当然だと思っている。
　やりがいはあるし充実もしてるけど、それでもね――。
　ふああと伸びをして、三折部朝衣はIDカードを入退室管理機の上に置く。ピッという愛想のない電子音が認証の合図だ。
　本日も退勤は二十時過ぎ。これでもかなり早いほうだったりする。
　もちろん、世の中にはもっと激務やらデスマーチやらサビ残やらがあったりするとは聞いているけど、これまでの働きかたと比べると雲泥の差だ。
　連日このペースじゃあねぇ。
「お疲れ様です」
　守衛に声をかけて朝衣は役所を出た。
　四月の人事異動で町長秘書に就任して早二か月、彼女はいまなお忙殺される日々をすごしている。
　モグラたたきさながらの毎日だ。業務がひとつ片付いたかと思いきや、もう新しい業務が顔を出している。すばやく始末してもまた次が、それを終えてもまたまた次がという次第、たとえ瞬殺しようとさらには二件同時に、あらたな業務要件厄介ごとが登場しているのだった。やってもやっても終わらない。これが行政の最前線というものである。
　それでもカレンダーはめくれていくし逆戻りはない。
　先月、朝衣は二十一歳の誕生日をむかえた。といっても当日は、忙しさのあまり来て去ったことすら忘れていたのだが。しかし彼女の恋人住沢遥人は忘れていなかった。数日遅れとはいえ直後の休日、朝衣は彼に海へ誘われ、濃密にして忘れ得ぬ一日を共にすごしている。それこそ、棺桶に入れる記念アルバムに載せたいくらいの。
　でもそれこそ幻のようなものだった。
　あっという間に現実に逆戻り、朝衣は週明けから仕事に追いまくられ、ここ最近は互いに忙しくてすれちがいの日々を送っているのだ。それこそ、NYAINのひとつも交わせないくらいの。
　そういや明日、土曜日だったよね。
　朝衣は恨めしげにスマートフォンの画面を眺めた。
　世間は休みだ。でも彼女は、翌日も仕事だ。
　明日も何だかんだで朝が早いのである。積み残した業務が山ほどあるせいだった。恨みを言う気はないが、リッカルド町長はしっかり休みだというのに。本日終業時間ごろ何ひとつ知らないまま「チャオー♪」なんて言って帰ったあのオジサンにこの現実をつきつけてやりたい。（やらないが）
　職場の外で、起きたての猫みたいに思いきり伸びをする。
　同時に空腹も感じた。
　そういえば昼から何も口にしていない。薄くてまずい（でも安い）カップ自販機のコーヒーだけだ。
　自宅まで我慢するか、それとも途中で食事するか……？
　食べて帰ろう、特に理由はないが朝衣は決めた。そうだ、ごちそうにしよう。
　ごちそうごちそう！　心のスイッチが入ったように思う。ごちそうは今日の自分へのご褒美！　明日の自分のための活力です！
　足を止め、朝衣はスマホをふたたび手にして検索する。キーワードは、『夕飯。近所』というダイレクトきわまりないものにした。
　さすがに色々あるな。
　ファーストフードにレストラン、居酒屋、カフェバーに定食屋……テキトウにいじっているだけでも、ちょっと処理しきれないくらい出てきた。
　ふーん。
　ファーストフードというのは、辞書の『ごちそう』項目の説明文にはないと思う。
　レストランはたくさんあるが、たくさんありすぎて詳細を見るのが面倒だ。
　居酒屋もけっして嫌いではない。嫌いではないが、女一人で居酒屋で、明日はホリデーのサラリーマン連中のうかれっぷりを見学しろというのは一種の拷問であろう。
　カフェバー……がっつり食べたい気持ちのときに、ナッツやオリーブしかなさそうなところは……。
　だとすれば定食屋か。唯一の問題は、今日の昼もそういうこところに行ったというゆるぎなき事実だ。
　SNSあたりも参照してみたところ、ボーナスが出ただの今夜は合コンですだのといったパーティーピーポーのつぶやきをおしのけ、一件の広告が飛び出してきた。わかりやすい太文字で、『寝子島ウルトラメガトロビアガーデン開催中』とあった。
　もうそんな季節か。
　ドイツビールと焼き鳥、さらにはパエリアの味が口中にひろがった。
　あそこなら世界の料理がもりだくさんだしお酒も多様、開放的な空間で夜景も満喫することができる。全席禁煙のうえ俗世を忘れる程度には明るい別世界だし、自由席だからうるさいサラリーマン集団が近くにいたとしても移動するのも簡単だ。
　行ってみようか……明日も仕事だし、あんまり飲めないけど。
　決めてしまうともうたまらなくなってきた。
　ウルトラメガトロな気分で、自分がミラクルロケットになったかのごとく朝衣は駅ビルを目指すのである。

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