スターライト・セレナーデ｜リアクション

スターライト・セレナーデ

　梅雨入り宣言が出されたその日は、たしかに空は暗いグレーだった。むせび泣くような静かな雨が、じっとり降りつづけていたものだ。
　だけどそんなのほんの一日半ほどのことだった。気がつけば連日きのうも今日も、ありゃ嘘だったと言わんばかりのピーカン天気となったのである。折りたたみ傘はカバンを重くするだけ、百均ショップ軒先をかざるレイングッズの数々も、退屈を持てあましているように見える。予報によれば、しばらくこの好天はつづくらしい。
　でもいずれまた梅雨は再開するだろう。そうすればたちまち、外出はおっくうになるにちがいない。
　とすればこの梅雨の合間を、あんまりに綺麗な初夏の空を、いまのうちに楽しんでおくべきじゃないか。
　いや、楽しまなきゃもったいない。
　桜井ラッセルが思いたった時刻は、昼の長い六月であっても、もう夜としか呼べない時間帯だった。
　寮の窓をあけ見上げれば、ひろがるは天鵞絨（ビロード）のような夜空、街中ゆえ満天の星とはいかないものの、それでも飛翔すればついばむことができそうなほど、星はくっきりとあざやかだった。
　飛翔？　ついばむ？
　単なる想像ではない。少なくともラッセルとっては。
　窓の外をむいて立ち、左右の足を自然にひらく。大きく深呼吸すること二回。胸元にさげた金の鍵に手をのばした。鍵を左手でぐっと握り、目を閉じて集中する。一心に思う。自分の変貌を。黒い空めがけ羽ばたくイメージを――。

　あ、カナリアじゃ無理か。
　鳥目なのでたちまち墜落してしまう。
　夜の鳥といえば梟（ふくろう）ということになろうか。以前、偶然変身した鷲とおなじ猛禽類でもある。
　よし、梟だ。
　イメージを修正する。カナリアへと変わる自分の姿から、梟と化し飛びたつ我が身へと。鷲だってアクシデントで転じたにすぎない。梟を試すのははじめてだ。でもやってやれない気はする。できると思う。
　風が吹きこんできた。ラッセルの前髪がさらさらと揺れる。
　涼しいな。
　風には、胸がすくように爽やかな香りもまじっていた。まぶたに浮かぶ色彩は、力強いグリーンにつつまれた可憐な白だ。ショウブかな。いや、もっと温かくて甘い香りだ。寮の庭に咲くクチナシかな――。
　芳香がいい触媒になったか、ラッセルの集中力は高まり、梟のイメージは細部にいたるまでありありと浮かんでいった。
　短くも硬くつややかなクチバシが、湾曲して下方向に生えている。
　ふたつの目はは大きく丸く、濡れた黒いビー玉のような光沢をもつ。
　枯葉色の羽毛はふわりと軽い。だから夜の空に飛びあがろうとも、ほとんど羽音をたてることはない。
　そうだ。
　飛ぶんだ。……この羽で！
　たまらなくなり両腕を跳ねあげたとき、ラッセルはすでにいずれもが、一対の翼に変わっていたことを知った。
　できた！
　目を開ける。部屋がうんと大きくなったように思うが、これは自分が小さくなっただけのことだ。変身成功だ。
　よちよちと歩いて全身鏡の前に立つ。けれど背丈がたりないので映らない。
　机に乗るべくラッセルはジャンプした。同時に、
　うわっ。
　息を呑んだ。
　びっくりするくらい体が軽いのだ。瞬間移動した気分だ。
　鏡に近づいてとっぷりと自分を眺めた。
　モリフクロウだ。大きな丸い頭、頭と顔に境目があって、全体的に丸っこいシルエットである。くびれのないダルマさんに、左右の足が生えたみたいだ。
　やべ、もっふもふだ。
　羽でか。
　目を細め見開くと、そのたびに顔は、笑っているように見えたり仰天しているように見えたりとうつろう。表情豊かな鳥なのだ。
　足に目を転じる。かわいいルックスに反して鋭い爪が生えている。
　爪かっこいー！　この足こそ猛禽類だよな。
　ひょいひょいと片足ずつ上げて調べ、わしわしと閉じてひらいてしてみた。そうするとなんだか、軽妙なダンスを踊っているような気がしてくる。
　音もなく飛んで獲物を狩る梟は一度は生で見たかったけど、まさかなれるなんて思ってもみなかった。
　羽ばたいてみると、カナリアや鷲とはまたちがう浮力を感じた。ぼわっと浮きあがるような感じ。ホバークラフトというか。
　よっし！　たしかめてみっか。
　もう一度浮きあがり安定を確認すると、ラッセルは窓から外へ飛び出した。

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