怪物｜リアクション

怪物

　寝子島署刑事課に着任してようやく一ヶ月。
　一ヶ月しかたっていない。
　時間の流れがおかしいと思う。
「川崎にいた時より忙しくなってない？」
　こうもぼやきたくなる水槻清恋である。川崎時代の何年かぶんを、ぎゅっと凝縮したような一ヶ月だった。いや、『だった』と過去形で表現するのはおかしいだろう。忙しさは現在進行形なのだから。
　人身売買未遂事件はどうにか容疑者の磯村を検察へ送検、起訴するところまでたどりついた、これで一件落着、ゆったりの寝子島スローライフ開始かと思いきやさにあらず、今度は島の児童福祉施設が襲撃され負傷者複数、収容者の少女も行方不明という大事件が勃発したのだ。しかもその行方不明者というのが――。
　まるで清恋を過労死させるべく、寝子島が悪意の脚本を用意していたかのようだ。負傷者のなかに先輩刑事の吐前亀二郎が含まれていたことも、清恋にはげしい打撃を与えていた。
　立ち入り禁止と書かれた黄色いテープをくぐり、清恋は現場に入った。敬礼する警官たちにいちいち敬礼を返しながら奥に進む。
　鑑識班の作業を邪魔するわけではないが、『人間ばなれした』襲撃のあとをどうしても確認しておく必要があった。
　案内は不要だった。
「これって……」
　凡庸な反応かもしれないが、清恋はしばし立ちつくすほかなかった。
　まさしく、怪物のしわざとしか言いようがない。

　署に戻ると事情聴取を開始した。
　任意という名目だが事実上の強制だ。最初に清恋とむかいあったのは、事件発生時施設の受付を担当していた女性職員である。清恋からすれば母親くらいの年齢、ひどく憤慨している様子だったから襲撃犯――怪物に怒っているのかと思いきや、業務時間外にこんなところ（警察署）に呼びだされたことに頭にきているだけだとやがて判明した。
「このところはね、大人しくしてたんですよ。脇坂さんも」
「このところ……？　ということは荒れていた時期もあったということですか？」
「施設に来たときから静かでしたよ。無口で」
　事件当日と比べて、という意味ですと女性職員は言った。
「銃を乱射したんですからそれはもう、荒れ狂っていたと思うんですよね、当日の脇坂さんは」
　とげとげしい口調だった。だがもちろん、この職員は乱射事件を目撃したわけではない。
「ああ、想像でおっしゃっているわけですか」
　ところがこの言い方が気に食わなかったのか、女性職員は大声を出したのである。
「私が嘘つきだと言うんですかっ！」
「そういうわけでは」
「いいえ！　あなた最初から私をバカにしてますよね！？　だいたい若い女の刑事だなんてふざけすぎです！　男性の上司を呼んでください男性のっ！」
　話が支離滅裂だが、清恋はとりたてて驚くことはなかった。こういう反応に遭遇するのははじめてではない。川崎時代も少なからずあったことだ。世の中には女性、とくに若年者が責任者だと名乗っただけで、頭から信用しないという手合いがいる。該当者の大半は壮年以上の男性だが、彼らの世界観に染まった女性もちらほら存在した。
　慣れっこなので腹もたたない。ただ、両肩が重くなるような疲労だけおぼえていた。
　吐前さんならどうやって対処しただろうなあ。
　考えても詮なきことなれど、考えずにはいられなかった。
　とりあえず、ワージントンさんにでも代わってもらおう。
　いちいち時間はかけていられない。黙って立ち上がって先輩の田中・ワージントン・広（ひろし）刑事を呼ぶために出て行く。
　施設内面会室の監視カメラのチェックなど、やるべきことは他にいくらでもあるのだから。