怪物｜リアクション

怪物

　配達にはテクニックが必要だ。
　たくさんのテクが存在するが、なんといってもその最大にして王道はルート選択だといえよう。効率的にまわることさえできれば、同じ複数の宅配先を周回するとしても見積もり時間の二十パーセント短縮は余裕、究極のルートさえ見きわめれば五十パーセント近く短縮して配達しきることができる。
　華露蘿は今回、何度かのトライアル・アンド・エラーを経て見きわめた究極ルートを利用していた。
　ペースは快調、納品つまり本日の業務は、あと一箇所だけで終わりとなる。ちゃんと計ったことはないが、このルート配送での最短記録ないしそれに近い所用就業時間になりそうだ。
　すでに泰葉には連絡を入れた。紗央莉の住むマンション前で待ち合わせの約束もとりつけている。このぶんなら華露蘿は、余裕をもって泰葉を待つことができそうだ。
　最後の納品先までたどり着く。

　希望みらい学園寝子島センター、これが正式名称だ。
　名称からは学校法人の寝子島分校のような印象を受けるが、実体は公立の児童自立支援施設である。犯罪行為をしたり、家庭環境などから生活指導や保護が必要な児童らが入所している。かつては教護院、もっと昔は感化院と呼ばれていた場所だ。受刑未成年が在院する少年院とは性質が異なる。
　ありきたりな日常生活を送っているかぎり大多数の人にはかかわりのない施設だろう。ゆえにあまり知られていないが、文具店にとっては大口顧客のひとつだ。施設内では学習の時間がもうけられているためである。
　クリーム色の建物には何度も来たことがあるので、近道して業者納品口に近い方向から華露蘿は施設を目指した。
　今回はとくに通常とかわりはない。
　……納品はいつも通り、倉庫前に台車で持ちこんで、と。
　段取りを考えていたせいか、華露蘿は正面からつっこんできた塊をさけることができなかった。
　道路脇の狭い歩道でどしんとぶつかる。
　塊かと思ったのはひとりの人間だ。
　女の子……！？
　小柄だ。中学生くらいだろうか。メタルフレームの眼鏡をかけ髪は三つ編み、なんとなく優等生っぽい。紺色のジャージ上下だ。
　運動部のランニング途中なのかとか、帰宅して買い出しに出たのかとか、そういった当たり前の想像は華露蘿の頭をかすめることすらなかった。
　かわりに華露蘿が感じたのは、恐怖だ。
　この子普通じゃない――！
　錐のように突き刺す視線、全身から吹き出すような殺意。
　少女は、手負いの野獣と見まがうような形相だったのである。
　本能的な懼（おそ）れと言うべきだろうか、華露蘿は首の後ろ、うぶ毛といううぶ毛が逆立つような感覚に襲われた。
　どけ、と言うことすらせず、少女は手のひらを突き出した。
　ペンキで塗ったような赤だった。
　血？
　まさか、怪我人？
　だがこの子が怪我人だといえるだろうか。
　むしろ誰かを怪我をさせたほうではないのか。
「あ……あ……」
　華露蘿は動けない。言葉らしい言葉を発することすらできない。
　対面していたのは時間にして数秒程度だっただろうか。たちまち少女は華露蘿の前をよぎってどこかへ賭けていった。旋風のような素早さだ。ふりかえって探したがもうどこにもいない。
　どこかからサイレン音が聞こえてきた。
　救急車っぽいね……？
　何かあったのだろうか。いや、何かあったにちがいない。
　問題はそれが、華露蘿の目的地で発生したのかどうかだ。

　不幸にして想像の通りだった。
　華露蘿の到着十数分前、児童自立支援施設『希望みらい学園寝子島センター』を巨躯の暴漢が襲撃していたのである。暴漢は鉄格子を曲げドアを吹き飛ばすといった超人的な怪力をふるい、施設入所中の少女（十四歳）に接触を試みた。誘拐目的かと思われる。
　施設内に居合わせた私服警官（五十九歳）がこれを制止しようとしたものの、あえなく返り討ちにあっている。
　だが少女はそのすきに逃走したという。
　施設は正門、エレベーターなどに破損が激しく当然のように封鎖となった。暴漢はエレベーターの戸をちぎるようにして取りのぞき、シャフトを伝って移動したらしい。
　もちろん華露蘿の配達予定もなくなった。期せずしてこの配送路の最短記録が達成されてしまったことになる。
　ただしすぐには帰れないだろう。逃走した少女とおぼしき人物の目撃者として、華露蘿は警察署で事情聴取を受けることになったためだ。警官からの求めには、
「……仕方ない。行きます」
　というほかなかった。
　急いで紗央莉さんのところ、行きたいんだけどな。
　泰葉ちゃん、先に行っちゃわないかなあ――。

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