怪物｜リアクション

怪物

　前屈みの姿勢で歩く紅をうながし、エレノアは旧市街にある大きな公園へと導いた。広い雑木林が特徴で、真昼でも薄暗い。
「なんのつもりよ。ここって……」
「初めて会った場所ですね……ええ、私はあの場にいましたとも」
　二年前の冬、紅たちが援交狩りをおこなっていたのはこの公園だった。
　また紅が歯を食いしばっているのがわかった。悲鳴あるいは怒声を発するのをみずからに禁じているのだろう。顔は紅潮し、目尻からは涙がにじんでいた。荒い呼吸をくりかえしてから、紅は喉の奥から絞り出すような声で言った。
「……やめて、やめてよ……ここには入りたくない」
　エレノアは紅を無視し、彼女が足を止めることを許さなかった。
　歩道をはずれ枯葉を踏み、雑木林の奥へと向かう。
　暗がりが増してゆく。
　やがてエレノアは、船頭小唄でも歌うような調子で言ったのである。
「そういえば入院した買春客どうなったんですかね？」
「……」
「後遺症が残ったら仕事は続けられないでしょうし、事情がバレたら家庭崩壊一直線でしょう。お子さんがいたらさぞ辛いでしょうね？　彼の子どもは、噂になって虐められてるかも」
　十分な間をとってからふふふと笑う。
「ま、そんなこと忘れ果てて自分だけ幸せになってる貴女には関係ない話ですが」
　紅は両耳をふさぎたかったにちがいない。しかし利き手にあるアイスピックが彼女の行動をさまたげていた。
「着きましたね」
　エレノアは足を止めた。
　ふたりは、過去の現場へとたどりついたのだった。
　くるりと反転してエレノアは紅とむかいあった。
「どうです？　ここなら誰にも気づかれませんよ。昔を思い出してやってみますか？　都合のいいことに凶器もあります。いまここで私を始末したら、いろいろと隠蔽できると思いますよ」
「そんなことしない……あたしは、あの頃とはちがう」
「おや、どうちがうと？」
「友達ができて……」
　紅はうつむきエレノアの目から逃れようとする。しかしエレノアは許さない。腰をかがめて紅を見上げ、しっかり瞳をのぞきこんだ。
「友達？　どうせ助けられてばかりなんでしょ？　貴女みたいに無価値な人間が友達のためにできることなんてありませんしね」
　紅の両眼から涙がぽたぽたとこぼれ落ちた。それでも紅は、声を出すのを懸命にこらえているようだった。
　嗚咽を漏らさないだけ立派ではあります、とエレノアは思った。
　まあ、泣いてもわめいても無駄だって知っているからでしょうかね。
「貴女の本質は何も変わっていません。変わりようがない」
　膝を伸ばし、エレノアは紅の真横に移動してささやきかける。
「EABのことも覚えていますよね？」
　返答は必要としていない。
「あの施設で貴女が施設長を刺さなかったのは邪魔が入ったから。貴女の意志によるものではない。それが貴女の本性です……」
　エレノアは紅に背を向けて歩きだす。本日の個人面談はここまでだ。そう、『本日』は。
　紅は小さな女の子のように、ただ黙って泣いているだけだった。
「もう手を放せますよ。どうぞ帰ってください。私からは逃げられませんがね？」
　エレノアは言い残したが、芋煮紅美はうつむき、立ちつくしたままアイスピックから手をはなさなかった。
　エレノアが見えなくなるまで、ずっと。