怪物｜リアクション

怪物

　あらっ？
　頭上をかすめていった鳥を見て、御巫時子は頬をゆるめた。
　ツバメ。
　光沢をおびた黒い翼、白いお腹に赤い顔、いつも正装のお洒落さん、だけどかわいい小さな鳥だ。
　子育てかしら？
　まるで先をとがらせた紙飛行機、スイスイと飛翔するツバメはやはり親鳥らしい。なんとも忙しそうで、声をかけるのはためらわれた。
　ちかくの民家の軒先、あるいは公園の東屋にでも巣があるのだろう。『お腹すいた！』とピイピイと声はりあげるヒナたちに、せっせとエサを運んでいる最中にちがいない。
　子育てのお邪魔はしないけど、ちょっとだけヒナ鳥ちゃんたちの姿を見せてもらいましょうか。
　特に用事も目的もない。陽気につられなんとなく散歩にでた今日の時子なのだ。早々にこんな出会いがあった。幸先はいいと思う。

　しかし、まもなく訪れたのはツバメのことを忘れてしまうくらいのサプライズだった。
　最初に認識できたのは、ぼわっとした髪型だった。なじみのある頭部だ。両手にひとつずつ、ジュースのペットボトルを握りしめ周章狼狽している五十嵐尚輝だったのである。
「どうしよう、どうしよう……」
　マラカスみたいに左右のボトルをふっている。陽気なサンバの練習――と解釈するのはさすがに無理があるだろう。
「尚輝先生？」
　駆け寄って声をかけると、尚輝がわなわなと唇をふるわせているのがわかった。顔色も白い。
「御巫さん！？　たたた大変です」
　地獄に仏の心境なのか、平素にくらべ尚輝の声は高い。
「何が大変なんですか？」
「大変が……大変なんです……っ」
　要領をえない。でもおちついて時子は彼の背中をさすった。
「先生、まずは深呼吸です」
　尚輝先生、かわいそうに……こんなにふるえて……。
　功を奏したらしい。尚輝は大きな深呼吸を二度くりかえして、ようやくまともに話せるようになった。
「ありがとうございます。御巫さん……お急ぎでなければどうか、お力を貸していただけないでしょうか」
　真剣そのものの口調だ。断れるはずがない。
「もちろんです。何があったのか教えてもらえませんか？」
「僕の姪が、いま寝子島に遊びにきているんですが……」
「もしかして先生が、入学祝に青紅鳥のぬいぐるみをプレゼントされた姪っ子さん？」
「そうです。ともかと言います。五十嵐ともか。……ついさっきまで一緒でした」
　すぐに時子は事態を予測した。
「迷子になった、ということですか？」
「そうなんです……僕が、ちょっとジュースを買いに行ったすきに……。そこのブランコで遊んでいたはずなんですが」
　尚輝が指さしたブランコは無人だ。そもそもこの小さな公園には、時子と尚輝以外の姿はなかった。
　尚輝が場を離れていた時間は、せいぜい数分のことだという。
「目を離したのがほんの数分なら、そう遠くへは行ってないと思います」
　時子は四方を見渡す。遊具はブランコひとつ、あとは屋根つきのベンチがあるだけの公園だ。石垣で囲まれておりいささか視界が悪かった。やはり小さな女の子の姿は見えない。
「ともかさんは六歳ですよね。その歳なら、ものの道理がわかっているはずです」
「は……はい、身びいきかもしれませんが賢い子なので、大丈夫だと思います」
「一時的に移動していたとしても、ここに戻ってくるつもりではないでしょうか」
　あるいは、と時子は言ってみた。意図的に楽しげな口調で言う。
「かくれんぼかも？　いきなり出てきて先生をびっくりさせようとしているとか」
　でも尚輝は首をふるだけだった。
「それはないと思います。なんというか……僕と同じで、あまり活発なタイプではないですから」
　だとしたら、もう戻っていてもいいはずですよね……。
　誘拐の可能性も――と思ったが時子は口にしなかった。
　その不安はきっと、夕闇のコウモリのように尚輝の胸中をよぎったはずだし、あくまで最悪中の最悪の想像なので、口にするのがはばかられたからだった。
　かわりに時子はこう言った。
「たとえば、急にお手洗いに行きたくなって、近くで借りられないか探しているのかもしれません。そうして、土地勘がないから迷っているのかも」
「そ、そうですね。それが一番ありそうです」
　手分けして探しませんか、と尚輝は提案した。
「僕は山側を探してみます。御巫さんは海側を。ひとめぐりしてからこの公園で落ち合いましょう。『尚輝おじさんが公園で待ってる』と言えば、きっとあの子はわかってくれます」
「でも私、ともかさんの顔を知りません」
「大丈夫です」
　すぐわかりますよ、と尚輝はようやく表情をやわらげたのである。
「僕によく似てますから。とくに髪型が」

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