雨の中のワルツ - a waltz in the rain｜リアクション

雨の中のワルツ - a waltz in the rain

　また降り出したか。
　八神修は玄関口で立ちつくした。
　いくらか小降りになったかと思ったが、制服から着替えてスプリングコートを羽織り、革靴を履いたところでまた、思い出したように雨脚が強まったのだった。
　言い忘れたけどとか、前から言いたかったんだけどとか前置きして、収まりつつあった口論を再開させるたぐいの話し手に似たものを感じてならない。帰宅時よりも激しくなっているように思えた。
　やめるかな、外出。

　無駄な口論は避けたいのと同様、いたずらに濡れることも避けたい。部屋に戻って猫をかまい、猫にかまわれして時間をすごすほうが有意義な気もする。
　でも、な。

「シーフード、好きなのか？」
「うん、けっこう好きかな～。私もこんな料理作ってみたいけど……」

　数日前のやりとりが思い起こされた。
　このところ七夜あおいの表情は晴れることが多くなった。一時期くよくよしがちだったのが嘘のようだ。
　将来の夢と、そこに至る進路が定まってきたからだろうな。
　応援したいという気持ちがある。
　それにいまのうち、彼女が興味のあることには挑戦させてやりたいとも思う。高校生活も残り一年を切ったのだから。
　シーフード料理に挑戦したいのなら、知識を入れておくことも大事だ。体験学習だな。
　だから次はちがう料理店にあおいを案内したい。もちろんシーフード料理の。スイーツも美味しいといいな。
　ネットで情報は仕入れてある。よさそうな店の目星はつけておいた。今日は予定もないし、下見と気分転換を兼ねた開拓だ――と出ようとしたところでこの本降りだ。
　これでは中庭とか、海の眺めを楽しむこともできそうもない。
　延期したほうがいいだろうか。予約を入れているわけでもないし、今日はひとりだから誰に迷惑がかかるわけでもない。
　でも小一時間ののち、修は窓際の席でカタクチイワシのマリネにフォークを入れていた。
　スペイン料理、ボケロネス・エン・ビナグレ（Boquerones en vinagre）というものらしい。ビナグレというのはビネガー、つまり酢だ。ハーブをふんだんに使ったワインビネガー、これにニンニクを加えた鰯の酢漬けに、オリーブオイルをたっぷりまぶしたものだった。それほど刺激的な香りはしない。むしろ魚本来の生臭さや塩っ気がちょうどよく中和されて口当たりがいい。
　これにオマール貝と海老たっぷりのシーフードパエリヤ、トルティーリャと呼ばれるスパニッシュオムレツを並べて食べる。日本人の感覚からすると米料理のパエリヤが十分に主食になるのだが、砕いたトマトを加えてカリカリに焼いたガーリックトーストがついてくるのも面白かった。
　サフランの黄色、トマトや海老の赤、貝殻や焼いたオリーブの黒、いずれも原色にちかい鮮やかさだった。幽霊みたいなペールブルーに染まった窓の外を見てからテーブルに目を戻すと、観ているテレビ画面が急に8Kデジタルに切り替わったような錯覚を覚えた。
　口当たりがいいのに、全部滋味があっておいしい。
　天候が災いしてか店は空いている。最初にいた熟年夫婦が返ってからは、客はずっと修ひとりだった。
　なんとなく店内を見回してみる。期待したとおり家庭的な内装で、どうやらランプのかさやテーブルクロスは手作りのようだ。
　わざわざ雨の日にご来店くださったサービスです、と言って料理人兼ウェイトレス、というより店主らしき女性がコーヒーを提供してくれた。素焼きのデミカップ。濃いエスプレッソが嬉しい。
　この店はあおいも気に入るだろう。
　彼女の喜ぶ顔を想像し、やはり来てよかったなと修はつぶやいた。
　デザートは何にしようか。
　メニューを眺めながら、スイーツの種類の多さにまた驚いた。
　