雨の中のワルツ - a waltz in the rain｜リアクション

雨の中のワルツ - a waltz in the rain

　傘があってもすごい雨だった。強風に豪雨は勢いを増し、英二とののこは濁流に落ちた笹舟のようにもてあそばれた。折りたたみ傘はあっさりと骨が折れ、最後は半円型になってしまった。
　それでも遭難することなく、桜花寮にたどり着くことはできたのだった。
　傘があってもなくても同じだったかもしれない。部屋にたどり着いた英二は、自分がクラゲになった気持ちだった。それでもカバンの中身は守ることができたのでいいとしよう。もちろん、買った本も無事だ。
　大急ぎでシャワーを浴びたのち長袖のTシャツ姿になって、英二は食堂のテーブルについている。目の前には白いプラスチックの湯飲みがふたつ、給湯器で入れた茶が湯気を立てていた。
「待った？」
　まもなくののこがやってきた。ここで落ち合う約束をしていたのだ。ののこの装いも英二と同じようなものだ。といっても英二の腰から下がジャージなのと比べると、ののこはショートパンツでより軽やかだ。

「すごい雨だったね。寮に着いて、こうやって一息つくことが出来てホッとするよ。生き返った気分だよね」
「まったくだよねえ。あ、お茶入れてくれたの？」
「うん、まあ、そこのだけど」
　給湯器を指す。
「ありがとね」
　水っぽい番茶だが疲れた体にはおいしい。
　お互いシーサイドタウンからの帰り道、ってことだったけど、とののこは言った。
「なにしに行ってたの？」
「本を買いに。野々さんは？」
「服見に行ってた。いいのなかったけどレインコートでも買ったらよかったなあ。それで、英二くんの買った本てどんなの？」
「昔の偽物プラモデルを特集した図鑑みたいな本なんだ。ひらたくいえばパチモン図鑑ってやつだね。『ニャンダム』の偽物で『ニャンガル』とか。チープなんだけどこれが現代の目で見ると変に格好良くて……」
「えーなにそれ見たーい」
「部屋に見にくる？」
　勢いで英二は口にしたのだがののこはためらうこともなく。
「行く！」
　とお茶の残りを飲み干したのである。
　男子寮の方向へ廊下を歩く。並んで気づいたことがある。どうしても意識せざるをえない。
　野々さん、いい香りがする。
　きっとシャンプーの匂いだ。
　洗い髪が、蛍光灯を受けて光ってる。
「どうしたの？」
　つい黙ったせいか、ののこがひょいと英二を見上げた。
「え？　いやなんでも」
「あ、そーだ傘、借りたやつどうしよう。いま部屋で乾かしてるけど」
「返すのはいつでもいいよ」
「覚えてたら明日もってくね」
　いまから野々さんは自分の部屋にくる。
　そして明日また来てくれるという。
　些細なことなのに嬉しい。
　やっぱり僕野々さんのこと――。
「それでさ」
「あ、うん？」
　夢からさめたみたいに英二はまばたきした。
「こないだ英二くんが買ったジェットニャガーも部屋にあるんだよね？」
「もちろんあるよ。でっかいソフビで場所取るからテレビの横に立ってる」
　わーいとののこは屈託なく声を上げた。ののこはジェットニャガーが大好きなのだ。
　ジェットニャガーというのは、大昔やっていた大怪獣ゴアラ映画のシリーズに一度だけ登場した人間型ロボットである。設定上は正義の側なのだが妙に悪人面で、人間サイズから巨大化する理由が劇中でまったく説明されないなどぶっ飛んだ設定だったせいか、当時はさほど人気が出ず再登場することはなかった。
　ところが個性的すぎるデザインもあってか根強いファンはおり特に海外では愛されていて、初登場から四十年以上たつ現在でも新作グッズが出ている。ののこもニャガーに魅了された新参ファンのひとりといえよう。
「そうそう、ニャガーといえば」
「なんかニュースあるの？」
「今度ゴアラがＴＶアニメ化するそうだよ。しかもジェットニャガーも登場するんだって。結構楽しみにしてるよ」
「ウソー！？　すごーい！　いつから始まるの？」
　教えて教えてとののこははずませるのである
「今日は雨のちジェットニャガーだね！」
　そうだねと英二は笑った。
　外は雨がつづいている。豪雨だ。
　でも英二の心は、日本晴れならぬののこ晴れに満たされている。