雨の中のワルツ - a waltz in the rain｜リアクション

雨の中のワルツ - a waltz in the rain

　もう一度濃密な時間を過ごしたのち、
「朝ご飯にしましょうか」
　と身を起こしかけた冬華の両肩に、
「待って」
　月は手をかけた。
「今日は雨もおさまってきたし買い物に行こう」
「いいですね」
「ただの買い物じゃない、今日の記念がほしいんだ。お揃いの指輪」
「指輪、ですか」
「だめ？」
「いえ、いいと思いますよ」
「よし決まり！」
　でもその前に、と声を上げた月が最初にしたのは、月の首すじに咬むようなキスを与えることだった。
　ぎゅうっと強く、キスマークが残るように。
　冬華のくすぐったそうな声が愛おしい。
　やっと冬華を解放し、月はいたずらっぽく笑った。
「冬華の身体に印を付けないと、と思ってね」
「びっくりしましたよ」
　とは言うものの冬華の声は笑っている。
　色白の冬華だからマークは綺麗に残った。うっすらと赤い内出血の痕（あと）、これは月の刻印だ。冬華は自分のものだというスタンプ、あるいは枷（かせ）、さもなくば鎖。
　満足気に目を細めると、月は冬華の耳元に唇を寄せた。
「冬華大好き」
　ささやく。いつか観た映画のラストシーンみたいに。
　でも完璧なしめくくりとはいかなかった。
　遠雷ではないが、それに似たグーという音。
　月の腹部が鳴ったのだった。空腹の合図である。胃からの抗議ともいえようか。
「……あうっ」
　月はとっさに顔を覆った。きわめて残念ながらごまかしようがなかった。
「恥ずかしい……」
　でも冬華は、すべて抱擁するがごとくくすくすと笑うと、
「ご飯作りますね」
　立ち上がり、着替えを始めたのだった。
「月さんはそのままお待ちください」
　さっと部屋着になり台所に立つと、慣れた手つきでエプロンを巻いた。
「あ、うん……」
　月もいそいそと着替えはじめる。
　そうだな。
　と思う。
　台所に立つ冬華を眺めながらデザインを描こう。
　スケッチブックを取り出すと空いているページを探した。簡単な着想メモでもいい。こういう何気ない状況から、思いも寄らぬ発想が出てくることはめずらしくないのだから。
　これは未来のためのデザインだ。
　今後のふたりのためのデザインだ。
　最初はただの線だったものが集合してだんだんとかたちを成しはじめる。
　いいな、今日は筆が乗ってる。
　月がスケッチブックにペンを走らせていることを知らぬまま、冬華は手を洗って卵を割った。プレーンオムレツにしましょうと決めている。
　――！？
　滅多にないことだが冬華は卵を割り損なった。どうせ混ぜてしまうのだから同じとはいえ、ボウルに落ちた黄身は崩れ、熱したチーズのように溶け出している。
　今日は記念日と月は言った。冬華もその気持ちだった。
　それだけに、最初の一歩でつまずいたように思えてならない。
　月が気づいているとは思わないが、ごまかすように急いで卵を混ぜた。
　卵を直視できなくて視線を流すと、今度は割った殻が目に入った。
　きれいな割れ方ではなかった。
　横合いから衝突された自動車のような――。
　警察署で見せられた事故現場の写真、冬華の両親をこの世から連れ去った現場が脳裏に一瞬浮かんで消えた。
　どうして、こんなときに。
　目を逸らせ殻をゴミ箱に落とす。
　気の迷いですと思い直そうとしたが気持ちは晴れない。
　私はずっと過去に囚われてるのかもしれない。
　だから月さんの告白を受けておいて、こんなことを思い出してしまう。
　それは私が、ある意味過去からの逃亡先として寝子島を選んだせい……？
　いけない。ネガティブになっては。
　少なくとも、これからは前を向いて歩こう――。
　予熱していたフライパンが、コンロの上でチリチリと音を立てている。
　なのに冬華の心は晴れない。どうしても不安を感じるのはなぜだろう。
　雨のせいなのでしょうか。
　それとも気のせい……？
　目を上げると外は、やはりわずかに雨模様だった。