雨の中のワルツ - a waltz in the rain｜リアクション

雨の中のワルツ - a waltz in the rain

　えっ。
　柚枝は凍りついた。
　呼吸はもちろんまばたきもできなくなった。
　かたちを取りはじめたMV（ミュージックビデオ）のアイデアも突然、石みたいに硬直していた。雨の環境音とヴァイオリンの音を重ねたヒーリングミュージック、題して『夜ふかしの旋律』……って、それどころじゃない！
　距離にしたら五十メートルほど先だろうか。
　これは映画でもドラマでもない。なのに現実の光景とは思えなかった。
　女の人が、車に押し込まれた！？
　女性を収めるや黒いワンボックスカーのドアはバタンと閉じられた。運転手らしき男が大慌てで前の座席に戻る。
　いくら豪雨の夜でも見まちがいじゃない。迷惑系MewTuberのドッキリ企画にしたって場所が辺鄙（へんぴ）すぎだろう。
　つまり。
　これ絶対、マジだよね。
　誘拐だ！
　うわー、やば、どうしよ。
　俺こういうの遭遇すんの初めてだよ。
　脚が震えた。当たり前だろう。いま自分は、犯罪現場を目撃しているのだから。
「あっ……ちょ、まずいよ……」
　慌ててスマホを向ける。インスピレーションを得るべく、道々気になったものを撮影していたのだ。すぐに起動した。
　黒いワンボックスカーは走り去ろうとしている。
　距離が悪い。ほとんど映っていない。ナンバーは見えないし、撮影するのもまず無理だろう。
　でも無駄ではないはずだ。画像解析すれば詳しいこともわかるかもしれない。
　もう無我夢中だ。我が身をかえりみず柚枝は駆け出していた。
　逃げるな。
　逃げるな……！
「待て！」
　叫んで走る。おそらく声は届いていない。車の赤いブレーキランプがチカチカしながら遠ざかっていく。左折して、倉庫街の方向に入っていった。
　ワンボックスカーは見えなくなった。
　息が切れた。ぜえぜえ言いながら柚枝は動画を確認した。かろうじて視認できる程度でしかないが、なんとか撮影はできていた。
　ともあれまずは警察なのかな……身近な大人に相談して、一緒に通報したほうが説得力あるだろうか。
　あー、ダメダメ、と柚枝は頭をかきむしった。
　ちんたらしてたら女の人が手遅れになるかもしんないじゃん！！
　もう腹を括るほかない。まずはバイト先に相談しよう。まだオーナーはいるかもしれない。
　それからすぐに警察にも通報だ！
　警察、と思い当たったところで足がすくんだ。
　うう、夜の徘徊は怒られるかもしれねーけど、今回ばかりは致し方ない。
　人命が最優先だ。あの女の人、きっと危険な状態にあるはずだから。