雨の中のワルツ - a waltz in the rain｜リアクション

雨の中のワルツ - a waltz in the rain

　インターネットは情報の海だ。
　もちろん海には、デマだのスピリチュアルだの根拠不明の珍説だのも大量に含まれているけれど、多少うさん臭いほうが興味深いのもまた事実だった。安全な海岸沿いよりサルガッソー海、狂気の沙汰ほど面白い。
　この日、人呼んで『なまものスキー』こと都府楼暦が神秘の海で遭遇した情報は、寝子島の港に関するものだった。
　タイトルは『未確認生物が目撃された！？』である。語尾に『！？』がついているあたりからして眉唾も眉唾なのだけど、未確認生物とあっては見逃すわけにはいかない。
　ネットの噂によればある晩、寝子島港そばの海にぽっかりと、ラクダに似た頭部が浮上したという。
　それが一年ほど前の話だ。以後、目撃証言がぽつぽつともたらされている。
　つるっと光沢のある頭は馬にも似ており、なま白くひょろりと長い体をしているらしい。全長は二メートル程度と推測される。背中にコブのような突起を見たという報告もある。二股にわかれた尾びれをもつという話もあった。哺乳類らしく、アシカのように港に上がっていたという目撃譚も少なくない。
　話を総合すると、と暦は結論づけた。
　伝説のUMA『キャディ』のようですね。
　UMAとはネッシーとかツチノコのたぐいである。存在が証明されてはいないが、さりとていないとも言い切れない謎の動物のことだ。例に挙げた二種にくらべればキャディの知名度はずいぶん劣るものの、それでも知る人ぞ知る存在であることはまちがいない。
　夜行性ということですか。
　これは調べに行くしかありません。いますぐ。

　思い立ったそのときにはすでに春の嵐が訪れており、天候は限りなく最悪に近い状態だったにもかかわらず、矢も盾もたまらず暦は港に向かった。
　もちろん無防備ではない。防水ライトを片手に握り、米軍仕様の緑色したレインコートを着込んでいる。足元はブーツだ。
　こんな日に調査に出るべきではない、というのは素人考えであろう。
　天候に恐れをなしたキャディが港にあがり、右往左往しているかもしれないではないか。荒波にうちあげられていたっておかしくない。
　暦には勝算があった。
　遭遇（コンタクト）を遂げることができるとすれば、今夜――！

　といってもそうそう、うまくはいかない。
　数時間の調査活動ののち、暦は打ち切りを決定した。
　雨風はますます勢いづいて、いかな厚手のレインコートも内側から水びたしである。気温はどんどん下がり、いまや暦は歯の根が合わないほど凍えている。
　さんざ探したあげく一度だけ『まさか！？』というものを目にしたが、なんのことはない誰かの捨てたビニール傘が風に吹き飛ばされ、テトラポットにひっかかってはためていただけだった。
　引きあげましょう。
　予想以上に遅い時間になっている。
　せめて風よけに港の倉庫街を通って帰ることにした。
　誰ひとり歩いていない道を歩き、倉庫街にむかう横断歩道をとぼとぼと渡った。
　信号は青だった。
　しかし突っ込んできた乗用車は、信号を無視していた。
　どすっという音を聞いた気がする。
　激しい痛みと衝撃。
　暦ははねられ宙を舞ったのである。
　えっ？
　現実とは思えない。
　やけにゆっくりと時間が流れた。
　吹きつける雨とヘッドライトの光のなかで、暦の視界はくるくると螺旋を描く。第三者からすれば、無重力空間でワルツを踊っているように見えたのではないか。
　耳をつんざく音が聞こえた。
　たぶん急ブレーキの音だ。
　さらにもう一度、衝撃。
「あ……ッ……！」
　黒いボンネット……私を、はねた車、の……？
　運が良かったとすれば暦が、はじきとばされたり車輪の下敷きになることなく、背中からボンネットの上に乗ったことだろう。
　フロントガラスに叩きつけられる。
　寒い。
　ひどく寒い。
　寒いのに、全身が熱い。
　……死ぬのかな、私。
　キャディの真偽すらたしかめてないのに。
　まだまだやり残したことがあるのに。
　誰にも、お別れを言ってないのに。