春の一日｜リアクション

春の一日

『寝子島、春のスイーツフェア』
　この売り文句に釣られた。休日にも関わらず、楡宮遠海は本土の鎌倉から寝子電鉄を経由して寝子島の地に降り立った。
　瓦屋根の駅舎の寝子島駅を背景にして拳を握る。
「スイーツ巡りよ」
　白い清楚な服に胸元の細くて青いリボンがよく似合う。見た目は可憐なお嬢様。内には煮え滾る野望を抱き、迷いのない足取りで出発した。
　入り組んだ道をせかせかと歩き、切れのある動きで左手に曲がった。
「ここにあの有名店が」
　言いながら目を見開く。小刻みに頬が震えて、ない、と喉の奥から声を絞り出した。
　スカートのポケットに手を突っ込み、生徒手帳程の大きさのガイドブックを掴み出す。パラパラと頁を捲って地図に書かれた店名を睨み据えた。
「ここだよね？　違うの？」
　ガイドブックを横にする。逆さまにして即座に一回転させた。
「迷っている時間はないわ！」
　別の路地に踏み込んだ。前のめりの格好で半ば走るように歩いた。突き当りを右に折れて丁字路を左に曲がる。二分程、直進した先の左手に有名な洋菓子店が、やはり無かった。代わりに古びた工務店があった。
「なんでよ！」
　ガイドブックを開いて、直ちに閉じる。持った手を振り上げた格好で息を吐いた。速やかにポケットに戻す。
「落ち着いて。とにかく深呼吸よ」
　自身の声に従った。少し不自然な笑みでゆったりと歩き出す。
「余裕をもって」
　見えない壁に当たったように立ち止まる。横手に和菓子屋があった。引けた腰でそろそろと近づく。ガラス越しに見ると喫茶店を兼ねていた。
「びっくりしたー」
　胸に軽く手を当てて中に入っていった。
　窓際の席に案内された。黒い木製のテーブルには和紙のような紙が置いてあった。墨を模した字でメニューが書かれている。その中の一品に目が留まった。
『羊羹一本』
　遠海は生唾を呑み込んだ。通り掛かった和服の店員に注文した。飲み物は抹茶ラテと無難に纏める。
　運ばれてきて白い長角皿に羊羹が一本、横たわる。見た目は太巻きと変わらない。添えられた黒文字を使って切り分ける。一個を突き刺して口に入れた。数回の咀嚼でほっと息を吐く。
「ねっとりなのに後味がすっきり」
　二個三個と立て続けに食べた。合間に抹茶ラテを飲んで残りを平らげた。
「次は洋菓子かな」
　遠海は紙ナプキンで口を拭き、笑みを浮かべる。
　多くの店舗を巡る為なのか。一品で切り上げた。外に出るとスカートのポケットからガイドブックを取り出し、一瞥のあと、元に戻した。
「適当でいいよね」
　言葉通り、気ままに歩いた。店舗とは無縁に思える路地裏を巡り、中華料理店に行き着いた。赤い看板は煤けていて年季を感じさせる。
「穴場かも」
　引き戸を開けて中に入るとカウンター席しかなかった。時間帯によるのか。客は誰もいない。
　遠海は隅の方に座るとメニューを手にした。
「あの、ホットクをお任せで」
「わかりました」
　中年男性が顔を出し、笑顔を見せた。即座に掻き混ぜる音が店内に響く。同時に中華鍋を火に掛けた。
「……語尾に『アル』は付かないのね」
　そんなことを呟きながらのんびりと待った。
「お待たせしました」
　大皿に丸い焼き物が重なるように置かれていた。
　指で端を摘まんで齧る。黒くて柔らかい塊が口の中に滑り込んだ。
「はふ、はふい、はふはふはよぉ」
　半開きの口で熱さに耐える。自らの手で風を作り出し、赤くなった顔で飲み下した。
「……小豆は美味しいけど、猫舌には厳しいよ」
　涙目で残りを食べた。二枚目はカスタードクリームで中は同じように熱々の状態だった。
　食べ終えると唇を指で摩った。
「腫れてないよね？」
　最後に熱い息を吐き出し、素早く会計を済ませた。
「まだまだ、いけるわ」
　程々の風に目を細め、遠海のスイーツ巡りは続くのであった。

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