春の一日｜リアクション

春の一日

　旧市街の本屋から八神修は出てきた。手に提げたエコバッグに視線を落とし、中に手を入れようとしてとどまる。
「気にはなるが」
　置いていた自転車の前カゴにエコバッグを収める。自転車のチェーンを外し、ハンドルを掴むと歩きながらサドルに跨った。
　車道の端を軽快に走る。ペダルを踏み込む力は強く、新緑色のパーカーの裾をはためかせた。
　猫又川に架かる橋が目前に迫る。陽光を反射する川面をちらりと見た。
「あれは」
　目が捉えた瞬間、ブレーキを掛けて減速。自転車から降りると歩道を押して歩いた。橋の上から川岸に熱い視線を注ぐ。
「やはり、そうか」
　川に降りる道が近くにあり、早速、行動に移した。
　自転車は目立たないところに置いてチェーンを掛けた。エコバッグから折り畳んだビニール袋を取り出す。
「備えあれば憂いなし、だね」
　笑みを浮かべてフキノトウを優しく根元から摘み取る。辺りにはポツポツと生えていた。小ぶりな物は残し、大きな物を選んで取った。
「他には」
「修君だよね？」
　上からの声に修は笑顔を向けた。青い空を背にした七夜あおいが小さく手を振った。
「やっぱり、何してたの？」
「春を見つけに来たんだ」
「そのビニール袋が、そうなんだよね」
「あおいも降りてきて一緒に春を見つけないか」
　修は微笑み、あおいに向かって手を差し出す。
「予定はないし、いいよ」
　ツインテールを弾ませて言った。

　川岸に降りてきたあおいを修は笑顔で迎える。薄桃色のシャツに濃紺のサロペットスカートを合わせていて、大人びて見えた。
「そのビニール袋が春と関係あるんだよね」
「その通り。春の食材を集めていたんだ」
　修はあおいにわかるように口の部分を開いて見せる。
「これってフキノトウ？」
　覗き込んだ状態のあおいに、そうだよ、と修は返した。
「でも、どうして？」
　聞かれた修は照れたような顔で鼻先を掻いた。
「寝子島では身近な食材なんだけど、鮮度の良い物を纏めて仕入れるのは難しいと思うんだ。だからシェフに頼みづらくて」
「私も手伝うよ」
「助かる。そうなると新しい袋が必要になるね」
　修はあおいを連れて自転車のところに戻った。前カゴに入れていたエコバッグから紙の袋を取り出す。表面に書店の名前が印刷されていた。
「本屋に行ってたんだね。参考書かな」
「そう、過去問と免疫学の専門書だよ。その帰りにフキノトウを見つけて、つい嬉しくなってさ」
「じゃあ、頑張って見つけないとね」
　修は紙袋の中身を取り出し、笑顔のあおいに手渡した。
　二人は手分けしてフキノトウを探す。
　茂みにしゃがんでいたあおいが修に声を掛ける。
「修君、ツクシはどうする？」
　摘まんだツクシを軽く振って見せる。
「それも採ろう。ツクシは和風の出汁で煮て卵とじにすると美味しいよ」
「わかった。見つけたら取るね。あとヨモギはどうする？」
「草餅の定番の食材だね。お浸しにも使えるから見つけたら採るようにしよう」
「任せて」
　親指を立てて笑った。格好は大人びていても中身は変わらない元気なあおいに、いいよね、と修は小声で言った。
　雑談を交えながら手を動かす。
「修君、これって食べられるのかな」
　目を向けるとあおいが長い葉が密集した部分を指差していた。近づくと修は、ああ、と声を出した。
「それはノビルだよ。もちろん食用で球根が美味しいよ。料理としては酢味噌和えが合うね。フキノトウの天婦羅もいいけど、酢味噌も悪くない」
「なんか、聞いているだけでお腹が鳴りそう」
「俺もだよ」
　二人は自然に笑みを交わす。
　時間を掛けて食材を探した。互いの袋の中身は見つけた春で大きく膨らんだ。
「これくらいでいいだろう」
　修の声で採取が終わる。土で汚れた指先は猫又川で洗い落とした。
「あれ、見て。小さな魚の群れだよ」
「アブラハヤだね。春を感じるね」
　ハンカチで手を拭いた二人は収穫した物を纏めて自転車の前カゴに入れた。揃って道に戻ると、あおいは笑顔で言った。
「美味しい春を楽しんでね」
「あの、あおい。良かったら俺と一緒に春を満喫しないか？」
「え、行っていいの？」
「手伝って貰ったお礼をしたいんだ」
「それじゃあ……甘えようかな！」
　あおいは白い歯を見せて笑った。
　修は自転車を押しながら歩道をいく。隣にはあおいがいてツインテールを弾ませた。自ずと会話も弾む。
「バイクのツーリングは良かったんだけど、行った先で猫に構っていたら、他の猫達を引き寄せてしまって、もう大変だったよ」
「修君が猫塗れになっている姿、見たかったなぁ」
　笑いを含んだ声に修は、勘弁してよ、と苦笑いで返した。

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