ダンシング・ソード｜リアクション

ダンシング・ソード

「大体この辺か……」
　スーツのポケットに手を入れ、神無月が周囲を睨みつける。
　その横で、鹿黒も背後や前方を睨んでいたが、やがてため息を吐いて頭に左手を添えた。
「ま、普通に見つかりゃ苦労はねぇ、か」
　そんな鹿黒の肩に、神無月が手を置く。
　他に言葉はない。が、鹿黒はそれだけで即座に行動を開始した。
　左手を自らの胸に当て、静かに念じる。
　自らの鼓動を静寂に溶けこませるように、ただ一つを念じる。
　やがて、鹿黒のあらゆる感覚が研ぎ澄まされていく。
　蟻の歩く音でさえ聞こえる程に。
　砂粒一つの形さえ明確に見える程に。
　雲に陰る月光が作る温度の変化を感じ取れる程に。
　風に乗った他人の僅かな香りを嗅ぎ分けられる程に。
　――ろっこん『うらぼんえ』によって自身の感覚を高めた鹿黒は、周囲の情報をあらゆる五感によって読み取る。
　しかし、その能力は区画全域を『知る』程ではなかった。だが、今回はそれでも充分な手応えを感じた。
「……旦那ァ、その先……二つ目の角曲がったトコから、どうも甘ったるい匂い……と、よくわからねぇが、金属の擦れ合う音が聞こえる。小せぇが、確かに」
　声を潜め、左目を細める視線の先。駐車されていた車の窓に映る情景を視る。『うらぼんえ』を発動した状態でも距離があったが、知りたい情景はぼんやりと捉えることが出来た。
「チッ……よく見えねェ……が。人の姿はないですぜ」
「だが『何か』は居る、んだな？」
　神無月が眉間の皺を深くする。
「じゃあ、行きますか」
　肩に掛けたジャケットの下で、シャツの袖を捲りながら松崎が歩き出す。
　少し遅れて神無月が何気なく後を追った。
「後は、手筈通りに」
　素早く二人を追い越しがてら、鹿黒が呟く。その言葉に、返答はない。
　――だが、背後で神無月が手を上げたのを、鹿黒は確かに感じていた。

　ただ、走る。
　腰元に据えた高枝切り鋏を右腕に装着して、目標に向かって、走る。

　宙に舞う一振りの剣に向けて、半ば飛びかかるように迫り、鋏を繰り出した。
「御庭番、鹿黒！　……推して参る！」
　その声に反応したのか、事前に接近を察知していたのか――剣が地面すれすれを、這うように移動した。
「わ……ぁ！　驚いた。何々、急に何なの？」
　若い。というよりも、それはもう子供のものと呼ぶに相応しい声音で、どこか楽しげに響く。
　糸で引いたような軌跡を見せながら、剣が鹿黒に向かって振るわれ、空気を鳴らす。
　開いた鋏で剣を挟み込み、受け流して体勢を反転。何もない中空に向かって鹿黒が鋏の刃を力任せに凪いだ。
　リン、と小さな音が鳴り、剣が距離を取る。
「……っと、危ないなぁ。てか、何それ、こわっ」
　フラフラと揺れる剣の側から、再び少年の声が響く。
　鹿黒の鼓膜に、少年の声とはまた違う異音が届き、更にそれが背面に迫るのを感じ取る。
　と、弾かれたように地に伏せる。被っていた中折れ帽が残された地点に――自動車が飛来した。
　ろっこん『邪道にして王道、正道にして外道』――神無月の扱う、自らの腕力を強化する能力によるものだ。
「は？　ははっ」
　咄嗟の自体にも関わらず、剣は壁に向かって移動し、回転しながら空中に飛んだ。車が通り過ぎた瞬間、剣が地面に降り立ち、アスファルトに擦れて甲高い音をたてる。
「おう。ガキ……随分とはしゃいでるみてぇだな」
　風に流されて空高く飛んでいた中折れ帽が落ちてきたのを手にして、神無月はそれを鹿黒に投げた。
「うーわ。また何か怖い人が来たなぁ……っていうか、オジサン、普通のヒトじゃ、ないよね？」
　神無月の胸元を目掛けて不規則な軌道で剣が迫る。
　軸足を下げ、攻撃を避けた神無月の背面に待機していた松崎が、柄に向かって殴りかかった。
　ふっと力が抜けたように剣が地面に落ち、金属音が聞こえた次の瞬間、松崎がくぐもった声を上げて、腹部を押さえる。
　地面に落ちていた剣が突然、空中に舞い戻り、ケラケラと子供の笑い声が響く。
「あー、何か面白い。面白いねオジサンたち。もっと遊びたいんだけど、独りで遊んでたら姉さんに怒られちゃう……また、ね？」

　回り、飛ぶ。剣は靴音と共に素早くその場を後にした。
「松崎の旦那」
　近寄る鹿黒に、松崎が掌を掲げて制止する。
「大丈夫……どうも奴さん、肉弾戦はそれほどでもないようで」
「で、どうなんだ、鹿黒」
「小せぇが、腕に切り傷が。気にした様子もなかったんで」
　追える、か。と言う神無月に、鹿黒が首を縦に振る。
　程なくして、スーツに身を纏った三人の男たちは足早にその場を後にした。

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