振りかけろ、塩！｜リアクション

振りかけろ、塩！

「あら、尚輝先生……？」
　実験室から普堂しおりに手を引かれ出てくる五十嵐尚輝を見かけた御巫時子は、思わず彼らの後を追っていた。
「どこに向かうのかしら……」
　２人は学校を出ると真っすぐ南下していく。
「海岸……？」

　曇天の下の寝子ヶ浜海岸。風は冷たく湿っぽい。海は鈍く錆びた色をしているが、遠く水平線には光が射している。昼にかけて、天気は上り坂へとさしかかったようだ。
「さあ五十嵐先生、一緒に塩を採りましょー」
　しおりが背中を押し、街道から砂浜へ下りようとするが、
「君、何も用具を持っていないのに、海水から塩化ナトリウムを抽出するのは不可能ですよ」
「むむ、ではどうすれば？」
「海水を熱するために必要なものをそろえないといけません。君が必要だと思うものを調達してきてください」
　このものぐさな化学教師の基本方針は放任。考えることも生徒に委ねる。
「うーんと、アルコールとマッチと……鍋みたいなものも必要か」
　必要そうなものを指折り数えつつ、調達しに街へ戻るしおり。頭をボリボリ掻きながら、尚輝は彼女を見送る。
「尚輝先生……」
　呼ばれた方を振り返ると、いつも弁当を届けてくれたり、白衣の取れかけたボタンをつけなおしてくれたり、何かと尚輝を世話してくれる時子がいた。
「何かあったのですか……？」
　心配そうな顔の時子に事情を話す。
「まぁ……」
　ナメクジという言葉を聞いて、両手で口を押さえる。
「それは大変ですね。塩を採る作業、私にも手伝わせてください……」
「たまには課外授業も悪くないですね……御巫さん、普堂さんと一緒に用具の調達をしてきてください。学校には私が伝えておきますので」
「はい……！」
　時子がしおりの後を追う。

「五十嵐先生が海とは珍しいですね」
しばらく海に向かって立ち尽くしていた尚輝に、声をかける者が現れる。
「今日は何かの実験でしょうか？」
「やあ、氷雨君か」
　氷雨潤一。彼も時子同様、学校から出て行く尚輝としおりを見かけたのだが、足の不自由ゆえに追いつくまで時間がかかってしまった。両手に持った杖で体を支え、ストレートの黒髪を潮風で揺らしながら、尚輝へと近づいていく。
「課外特別授業を始めるのですが、人員不足の感があったので……仲間が増えると心強いです。ぜひ参加してください」
「私でよければ、ぜひ」
　湿った空気をカラッと乾かすように、屈託なく笑う潤一。同じくして海にも、光が満ちて輝く海面が増えていった。

　こちらは再び九夜山、のとある場所。
「まぁ……！」
　大天使天吏は感動に思わず手で口を押さえる。
「なんて大きなナメクジ……」
　九夜山を散策中の、突然の出会い。恐怖心は一切ない。
「……この島の不思議な力で大きくなってしまったのね」
　出会いへの感動とともに、憂いを感じる。
「捕食者たちに見つかったら大変ね。ひとまず安全な場所まで連れて行ってあげないと」
　捕食者とはついばむ鳥などを連想してのことだが、ほんの少し離れた場所に人間の捕食者がいたりする。
「ナメクジ誘導にはビールがいいと聞いたことがあるわ。マッピングのアルバイトで得た臨時収入を使って、買ってこよう」
　待っててね。見上げた触覚に向かってそう言い残すと、軽やかに山を下っていく。まるで天吏の指示に従うように、ナメクジはその場を動かなくなった。

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