Real Thing Shakes｜リアクション

Real Thing Shakes

　ちらついていた粉雪は、折りたたみ傘をひらく前に収まっていた。
　猫は寒がり、なので万条幸次も寒がり、裏起毛ふかふかの白いパーカーの上に、濃いネイビーのチェスターコートを重ねている。パーカーのフードは襟の外に出し、さりげなく首元の風を防いでいた。スマートなシルエットのコートだが、裏地はファーなので暖かい。黒いジーンズはスキニーで、これまた防風仕様のすぐれものだ。これで両手をポケットに入れて歩けば、雪降る真冬もしのげるというあんばい、しかもポケットには使い捨てカイロを入れているのだから完璧だ。
　冬の休日、幸次はアルバイト先に向かっている。
　偶然みつけた募集広告、これに応募し採用されたのだ。
　一日限りの仕事だ。保護猫カフェの、出張譲渡会の手伝い。
　内容はシーサイドタウンの人通りが多い広場での会場設営と荷物の運び出し、つまりは力仕事ということだ。
　目指すものはすぐ見つかった、『ねこのしま』という立て看板だ。『すぐそこ』と丸文字で書いてあり、ちょこんと座る猫のかわいいイラストが添えてあった。『猫の島』であり『寝子（の）島』でもあるというダブルミーニングだろうか。店は商社の入っているビルの地下一階にあり、木目のドアがイラストで飾られている。
　呼び鈴を押すとすぐに店内に案内された。猫カフェ特有の匂いがする。
「おはようございます、バイトの万条です。今日一日よろしくお願いします！」
　できるだけ元気にあいさつしたつもりなのに、『ねこのしま』代表の女性鈴木は幸次の十分の一の愛想すら見せず、
「そう。よろしく」
　短く告げるとあとはもう、話すことなどないと言うかのように奥に消えてしまった。彼女が幸次に視線を向けた時間は、一秒にも満たなかっただろう。
　鈴木はそれからずっと、どこかに電話をかけている。ひとつかけてはまたひとつ、さらにまたひとつ……そのたびにいちいちメモを取っている。忙しそうだ。
　キツそうな人――幸次は鈴木にそんな印象を持った。
　年齢は三十前後だと思う。もうちょっと若いかもしれない。解けば長そうな黒い髪を、かたく縛って頭の後ろで束ねている。ヨガの先生のように細身で、やっぱりヨガの先生のように姿勢がいい。背筋なんか定規を当てたみたいにまっすぐだ。
　この店には制服がわりのエプロンがあり、幸次も入室早々一着を手渡されていた。落ち着いたベージュ色だが胸には大きく、看板や入り口ドアと同じタッチのキュートな猫イラストがプリントしてある。他の店員と見比べたところ何種類かあるらしい。幸次が受け取ったものは毛づくろいする三毛猫の絵だった。
　鈴木さんのは黒猫か。
　また別のところに電話している鈴木のエプロンには、ころっと寝転んでおなかを見せている黒いにゃんこがいた。ビジネスマン顔負けの真剣な表情で受話器を握る鈴木には、正直ぜんぜん似合っていない。
「万条君、反対側もってもらっていい？」
　呼びかけられて振り向く。幸次の母親くらいの女性店員が、大きなケージを持ち上げようとしていた。
「あ、はい。もってもらわなくて大丈夫です、俺ひとりでやれます」
　気付いて幸次は駆けていく。このおばさんは優しそうな人だ。幸次が軽々とケージを持ち上げると、わあ力持ちねえ、などと褒めてくれてくすぐったかった。
　譲渡会につかうバンは二台、ここにケージをならべ猫たちを移す。幸次以外のスタッフはみな慣れているようで、てきぱきと作業を進めていった。
「こっち、ですね。はい」
　一通り作業を終え万乗は大型バンに乗り込む。予想よりきつい。力仕事もそうだが、スタッフの動きが速くて、ついていくのが精一杯だったのだ。
　なにげなく幸次は首を巡らせ、もう一台のバンに目をやった。
　運転席で鈴木がシートベルトをつけるところが見えた。
　キーを回す前に一度、鈴木はハンカチで額をぬぐった。かなり汗をかいているようだった。