雪の日。
また雪だねと
鷹取 洋二は思う。降っている雪積もっている雪は嫌いではないけれど、溶けかけたのが土と入り混じって、じゅくじゅくになっているのは好きではない。これが正体だと言われているみたいで。
そのじゅくじゅくを綺麗に覆いつくしたような白い顔で、洋二を見つめている女性がある。派手な着物だ。ただし高級な着物だ。帯だけでも寝子島高校の学費半年分くらいはするだろう。
「元気そうですね、洋二さん」
「お母さんこそ、お変わりなく」
洋二の視線はコーヒーカップに注がれている。
アンティークな小物がそろった喫茶店、そういえば寝子島で母親と会うときは大抵ここだ。一度猫鳴館の自室へ招待しようとしたこともあるが、「あんなところ」と一言で却下された。洋二が星が丘寮を断って、猫鳴館を選んだことを根に持っているらしい。
根に持つ性格か……そこは母親似なんだろうね。
悪口や揶揄や皮肉のたぐいを向けられても、たいてい気にせず笑って聞き流せる洋二だが、幼いころ母にピアノから無理矢理引き離され、バイオリンを強制されたことだけはいまだに執念深く恨んでいる。その理由というのも、バイオリンのほうが上品だから、という根拠不明な母の偏見だったことを含めて。
とはいえバイオリンは洋二の才能を目覚めさせ、フランス留学の話すら引き寄せたのだから、結果的には正しい選択だったのかもしれないが。
「それで、今日はあらたまってなんの御用ですか」
決まっているじゃありませんか、と母は言った。
「洋二さんご自身の進路のことです」
「まだ、決めかねていましてね」
「そんな悠長なことをおっしゃっていられて?」
「僕はマイペースなんですよ。お忘れですか、お母さん?」
にしても限度があります、と声をワンオクターブ上げる母親を、洋二はただ眠たげな目で見ている。口元には冷ややかな笑みがあった。
この人相手だと僕は、どうしても嫌な人間になってしまうな。
「パリの音楽院のお誘いなんですよ。九月からの」
「名誉なことではあります。ですが、毎年百名ほどに出している『お誘い』でしょう? それに僕のフランス語はひどいものですから。ジュネシーゼパーザムラーイ」
「なんておっしゃったの?」
「Je ne suis pas un samourai……僕は侍じゃありません」
「ふざけないで」
「ふざけたつもりはありませんよ。やはり木天蓼大学芸術学部のほうが僕には向いていると思います」
それだと寝子島に残れますしね、という考えは口に出さない。
反対されるだろうと思った。またひと悶着か、と覚悟はしていた。
しかし洋二が耳にしたのは、母の意外な回答だった。
「いいでしょう」
「いいんですか?」
思わず聞き返してしまう。着物ばかり着ているわりに舶来ものを崇拝する傾向のある母だから、パリというブランドに固執すると思っていたのだ。
「ただし条件があります」
ほらきた、と洋二は内心苦笑した。
「ああ、はい、どうぞ」
大抵のことなら受けてしまおう。パリより寝子島だ。この島には洋二の大切な友達がたくさんいる。
母親は大判の封筒を取り出した。白い封筒、悪い予感がする。
予感は的中した。封筒から出てきたのは釣書だったのだ。お見合いのときに使うあれである。毛筆の達筆でしたためてある。
「こちらのお嬢さんと婚約なさい。それでしたら、あなたのパリ行きはあきらめてもよくってよ」
ちょっとお母さん、と洋二は気色ばんだ。
「僕はまだ十八歳ですよ」
「『もう』十八歳です。結婚できる歳です。私が婚約したのも同じ歳でした」
「お母さんの時代といまは違います。それに、『お見合いしろ』なら百歩譲ってまだ理解しますよ。ですが『婚約』とは……結果ありきではないでしょう」
「むこう様はそうお考えですよ」
母親は釣書をめくって写真を見せた。いかにも良家のお嬢様、といった風な品の良い女性が写っている。趣味は『お琴』で茶道の免許も持っているらしい。料理も習っているという。ただ、七つ歳上だ。
「僕は年齢差別はしません。ですが、この方のほうが嫌なのではないですか。僕みたいな……」
言いかける洋二をさえぎるように母親は言った。
「先だってお会いして参りました。家柄も申し分のないとてもいいお嬢さんで……ただ年齢が年齢でしょう? ご両親が結婚を焦っておいでで」
化石だ。この人たちは化石だ。
洋二は絶望的な気持ちになった。いまどき二十五歳程度で『結婚を焦って』などという神経がおかしい。現代日本の平均初婚年齢を知らないのだろうか、いや、知っていても『自分たちの常識』を優先させているにちがいない。
勝手に『焦っておいで』になっている親をもって気の毒だと、彼女に同情こそしたものの洋二はこの人に興味を持てそうもなかった。
「もう見合いのお日にちは決めておりますの。洋二さん、これからスーツを仕立てに行きましょうか? この島にまともな洋裁店があればいいのですけれど」
何もかも気に入らない。
婚約を島に残る条件にされたことも。勝手に見合いの日をセッティングされたことも。寝子島を小馬鹿にするような発言も!
「お母さん、僕の意思を少しでも確認しようとは思わないんですか!」
「私はあなたの幸せを思って……」
「嘘でしょう、それは。あるのはあなたの見栄だけだ」
「違います! 私はあなたに、あなたのお兄さんのようになってほしくないだけです」
もう限界だ。カッとなり洋二は、椅子を蹴るように立ち上がっていた。
「『あなたのお兄さん』? なぜ自分が産んだ子をそんな風に呼ぶんです!
なぜ一晃(かずあき)さんと呼んであげないんですか!」
洋二は喫茶店を飛び出した。
どこをどうやって走ったのかわからない。いつの間にか洋二は駅前の通りまで来ている。
「鷹取先輩?」
そこで誰かに呼び止められた。
「やあ……きみか」
高校の後輩だ。
はっはっは、と作り笑いして洋二は後輩を振り返った。ワカメ頭と呼ばれる髪を、大きく下から上にかきあげる。
「奇遇だねえ、こんなところで。いま、部活の帰りかい?」
彼女は戸惑いの表情を隠さず、それでも洋二をいたわるように言った。
「先輩……どうして、泣いているんですか?」
□ □ □
今道 芽衣子は下を向いている。つま先にダイヤモンドでも落ちているかのように凝視している。
「普通の子でした……」
突きつけられたマイクにそう繰り返す。
木天蓼市教育委員会からの命令だ。『普通の子だった』、そう言えと。それ以外言うなと。
知らせを受けた担任は卒倒して入院した。だから矢面に立たされているのは副担任の芽衣子なのだ。
先日、記者会見の席で校長も言っていた。教頭もだ。
そろって、
「普通の子だったと聞いています」
この紋切り型表現とて無意味ではなかろう。こうやって無色透明に表現して生徒の情報を守るのは、学校にとってはもちろん生徒本人のためでもある。だがどんな子であれ一様に『普通の子』の枠に押し込めるのは、生徒の存在を無視することと表裏一体ではないのか。
普通の子。
そんな短い言葉で言い表せるものか――!
芽衣子のはらわたは煮えくりかえりそうだ。
それに悲しい。世間に謝罪してくださいと言われるから謝罪しているし、実際謝るべきだとは思うが、それよりも悲しみが勝っている。
受け持ちの生徒
脇坂 香住(わきさか・かすみ)が、拾った拳銃で乱射事件を起こしたのである。不登校がつづいていた矢先のことだった。
香住は一度逃亡したものの、その後自分から警察に出頭した。
死傷者が出なかったのは幸いだ。しかし彼女が人に銃を向けたこと、引き金を何度も引いたことは事実だ。
「なるほど、普通の子、だったわけですね」
ご丁寧にリポーターはそう繰り返す。
普通の子? そんな子なんていない。どこにだって。
本当はそう言ってやりたかった。
香住は学業成績優秀だった。しかしクラスでは孤立していた。
香住は学校に遊びや余興を持ち込むことを認めず、誰にでもいちいち「そんな無駄なことしてなんの役に立つんですか?」と食ってかかるからだ。言い返そうものならすさまじく反論する。エネルギー問題がどうの、そもそも公立中学校は税金で成り立っているので云々……一種恐ろしいほどの勢いなので、相手はこれが正論かどうかということを考えるまでもなく黙ってしまう。
香住はとくに、芽衣子を目の敵にしていた。学校に来ていたころは「今道先生は海外の大学で研究者を目指していたのに」「解雇されて」「日本の代用教員だなんて恥ずかしくないんですか」そんな辛辣な言葉を面と向かって、立て続けに浴びせてきたものである。
たしかに、アメリカで研究員になる夢が芽衣子にはある。できるなら再チャレンジしたいとも考えている。だからといって公立中学の臨時教員が恥ずかしいとは思わないし、給料はすさまじく安いけれど、ピュアな中学生たちと接する日々にはやりがいも感じている。
なのに……それをうまく伝えられなかった。
悔やまれてならない。香住が不登校になってからは、家庭訪問して話をしようとしたのだ。何度も予定を入れたのに、なぜなのか毎回邪魔が入って一度も実現しなかった。
現在香住は拘置所にいるらしい。
どうにかして会えないものか。
会って、『私はあなたを大切に思っている。教員の仕事も』と伝えたい。
□ □ □
つづいている。寝子島の真冬が。
しかし冬が終われば春だ。そろそろ春のことを考える時期だ。
向き合わねばならぬ現実が近づいている。現実があなたを揺さぶる。
そうしてあなたの心は、どこに定まるのだろう。
マスターの桂木京介です。よろしくお願い申し上げます。
あいかわらずガイドが長くてすみません……。
シナリオ概要
日常シナリオです。
雪が降ったり止んだりしている寝子島、雪中デートや友達とのわちゃわちゃ、あるいは将来への思い、進路選択、などなどこの時期らしいお話ができそうですね。
あなたの一場面を描かせてください。
一応『現実から目を逸らさない』というテーマこそ設定していますが、目を逸らしまくるのも一興、テーマにこだわる必要はまったくありません。
状況
拙作『雪に願いを。』『朧冬の蜃気楼』につづくシナリオという側面もあります。といっても、今回は大事件は発生しないでしょう。
前二作も読む必要はありません。
先日中学生による銃乱射(ただし死傷者なし)が起こり、いささか騒がしいところもありますが、すでに事件は収束しておりますのでご安心を。
NPCについて
ガイドに未登場でもあらゆるNPCは本作に登場可能です。
アクションに記していただければ登場できるよう努力します。
ただし以下のNPCだけは取り扱いに注意が必要です。
●脇坂 香住(わきさか・かすみ)
拾った銃を人に向け撃ち尽くすという乱射事件を発作的に起こしてしまいました。銃は拾ったものであり、おそらくは暴力団員が処分に困って捨てたものだと思われます(詳しい素性は現時点では不明です)。
現在は警察の保護下にあり、よほどのアクション内容でなければ会うことはできません。
●今道 芽衣子
寝子島中学校の非常勤講師です。
香住の件で自分を責め、憔悴しきっています。今回は遊びに誘っても来てくれません。
NPCとアクションを絡めたい場合、そのNPCとはどういう関係なのか(初対面、親しい友達、ライバル同士、恋人、運命の相手など。参考シナリオがある場合はページ数も)を書いておいていただけると助かります。
また、必ずご希望通りの展開になるとは限りません。ご了承下さい。
それでは、次はリアクションで会いましょう!
桂木京介でした。