蒼い月の夜｜リアクション

蒼い月の夜

　井野つばめが学校からの帰り道に友達と寄り道をして買い食いを終え、友達と別れた頃には辺りはすっかり薄暗くなり月が見え始めていた。
　しかし、そこでつばめは何かおかしい事に気付く。何だか月が蒼ざめたように青いのだ。

「今日は月が蒼いなあ。父さんも母さんも、働きながら見てるかな？」

　つばめの家は旧市街山寄りにある民宿「伊乃屋」だ。恐らくは両親はいつも通りに働いている事だろうと思いつい口から出た言葉だったが、まるでそれが切っ掛けとなったかのようにつばめの心境に変化が現れる。

「あれ、何だろう？　何だか……僕ももっと頑張らないとって気持ちになってきた！」

　それは突然の事でつばめ本人にも良く分からない心境だった。だけど、その気持ちが時間が経つに連れて治まるどころかどんどんと強くなっていく。
　普段であれば家の仕事を手伝うよりも、友達と遊んでいたいという気持ちの方が強い筈なのにこれではまるでそれが反転してしまったかのようだ。

「買い食いしてる場合じゃない、早く帰ろう！」

　ついにそんな事を言って駆け出すつばめ。今の彼にあるのは一刻も早く家に帰って仕事を手伝わなくてはという強い思いだった。

「ただいま！」
「あら、お帰り……？　どうしたの？　そんなに息を切らせて」
「母さん、何か手伝う事あるっ！？」
「えぇ？」

　帰って来るなりまるで詰め寄らんばかりの勢いでそんな事を言うつばめを見て思わず困惑した反応を返してしまう母親。
　だが、それも仕方ないだろう。何せ普段の言動とは全然様子が違うのだから。

「そりゃあ幾らでもあるけど……」
「何？　何でもやるよ！　何なら料理はあんまり得意じゃないけど、千切りだって桂むきだってやるよ！　今日ならできる気がする！」
「……一体あんたどうしたの？」

　自分の息子はここまで熱血ではなかった筈なのにと言わんばかりの母親の表情。
　しかし、すっかりやる気に満ち溢れているつばめはそれに気付く事もなく、いやもしかしたら仮に気付いても何も言わなかったかもしれない。何せ今のつばめは犬の尻尾の幻覚が見えそうな程に母親からの言葉を待っているからだ。

「何だか良く分からないけど、それ程やる気が出てるならキャベツの千切りと大根の桂剥きでもやって貰おうかね」
「よし、任せて！」
「でも、先に着替えてきなさい。それくらいの時間は幾らでもあるんだから」
「分かった！」
「はぁ……。一体何があったんだろうかねぇ？」

　帰って来た時の恰好のままで手伝いを始めそうな勢いだったので、母親は慌てて着替えてくるように言うと返事を置いていかんばかりの勢いで自室へとつばめが戻っていく。
　その様子に何かがあったのだろうと母親は思うが、考えても分かるわけもなく一先ず横に置いて仕事へと戻っていくのだった。

「よっし、出来た」

　ザクザクとキャベツを刻む音が止んで、汗を拭うつばめ。つばめの知っている音。母親や父親がさせる包丁の音に比べればまだまだリズムはテンポ良くないしスピードも遅いが、それでもけして悪いと言う程ではない。
　お客さんに喜んでもらえたらうれしいな、と思うつばめだった。
　そこで不意につばめは思い出す。そう言えば昔はもっと家の手伝いも楽しんでやっていたような気がすると。
　いつからか友達と遊ぶ事の方が楽しくなってしまっていたが、今日は久々にその頃の気持ちを思い出したような気分だった。

「明日も頑張ってみようかな……」

　今日の楽しさから思わずそんな言葉がつばめの口から零れる。勿論、手伝いともなれば楽しい事だけではないだろう。だけど、それでも旅館の手伝い、いや仕事における楽しさというものを本当の意味で知る時がいつかつばめにも来るのかもしれない。
　だが、今はとりあえず今の楽しさに浸るようにつばめは今度は大根の桂剥きをやり始めるのだった。

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