朧冬の蜃気楼／a hazy mirage of winter｜リアクション

朧冬の蜃気楼／a hazy mirage of winter

　雪の勢いは増している。風に追われるようにして帰路を急ぐ。
　冬の日は短い。もうずいぶんと暗い。
「今日は、思ってもみなかったことになったね」
　八神修はそうは言っているが、災難だったねとは言わない。参ったなとは言うが本当に憔悴しきった口調でもない。七夜あおいを前にするとき、矜持とか意地とかそんなものではなく、ごく自然に修は強い心でいられるのだ。
　それはやはり、あおいがもたらしてくれるものが大きいのだろう。

「うん……本当、びっくり」
　あおいはそこまで強くなれないのだろう。いささか疲れた様子だ。一緒に見た動物映画の記憶も吹き飛んでしまったかもしれない。
　この日、午前で学校が終わったので修はあおいを誘い映画を鑑賞した。その帰路で彼らは交通事故に巻き込まれたのだった。凍った道路でスリップしたミニバンが突っ込んできたのである。
　並大抵の人間であれば怪我は避けられなかっただろうし、下手をすれば死んでいた可能性もある。
　しかし修も、あおいも並大抵ではないのだった。
　機転と『ろっこん』でふたりは事故を最小限にとどめた。このとき同じく事故に巻き込まれた寝子島中学の教師、今道芽衣子の窮地も救っている。修とあおいは無傷、芽衣子もかすり傷程度ですんだ。ミニバンの運転手も軽傷だったということもあり、事故としては小規模のものとして処理されることだろう。
　しかし修には気がかりなことがあった。
　芽衣子は事故そのものより、これが原因で生徒の家庭訪問に行けなくなったことにショックを受けている様子だった。
「今日は絶対に行かなくっちゃ！」
　そう言って一度は救急車から降りようとすらしたほどだ。
　たしかに元気かもしれませんが検査は必要です、そう修は言い聞かせてなんとか抑えたものの、あのときの、単なる職業的な使命を超えた芽衣子の必死さに引っかかるものを覚えたのは確かだ。
　どうして、とあおいが言った。
「あの先生はあんなに家庭訪問に行きたがってたのかな……大切だ、って言って」
　やはりあおいとはフィーリングがあうと修は思う。ちょうどこのとき、自分と同じところに注目していたとは。
　簡単とはいえ検査を受けるため病院に連れて行かれたので遠回りの道になってしまった。もう暗い。公共交通を使おう。
「ええとバスの時刻表は……」
　スマートフォンを取り出したところで大きなニュースに修は気がついた。
　新聞部の自分としたことが。
　色々あったものだから見落としていたのだ。これほどの事件を。
　今朝、猫又川の河川敷で発砲事件が起こったという。銃撃犯が未成年らしいということまで明らかになっていた。
「怖いね」
　あおいは怯えている様子だ。犯人は逃亡しておりまだ捕まっていないのだ。
「未成年……下手をすれば俺たちと同じかそれ以下かもしれない。悪化する重犯罪はもうこんな身近レベルまで来ているんだ」
「まだすべてが明らかになっていないのに、そんな決めつけをしちゃだめだよ」
「すまん。そうだな」
　修は素直に謝る。そうだ。まだ目撃情報の段階ではないか。急いで結論を出してはいけない。出せるはずもない。
　とすれば真相が知りたい。記者なら真相には足でアプローチすべきだろう。せめて現場の河川敷は見ておきたい。
　そう思ったが口にはしなかった。まだ銃撃犯がいるかもしれない状況にあおいを連れて行くわけにはいかない。それに、あおいを単身で帰宅させるわけにもいかないだろう。
「修くん、現場に行きたいんなら気にせず行ってくれていいんだよ。私はここから帰れるから」
　まるで修の内心の葛藤を読み取ったようにあおいが言った。もしかしたらあおいからすれば、修は両開きにして置いた本のようなものなのかもしれない。
「いや、まさか。もうお開きかなと考えていたんだ。さあ帰ろうか。寮まで送っていくよ」
　口には出さねど修は、後から現場に行こうと決めていた。