唐突な使命｜リアクション

唐突な使命

　入学式の帰り道。
　桜花寮へと歩く雨寺凛の心は、どきどきと昂ぶっていた。
（入学式でのアレ……なんだったんだろう？）
　新しい学校。着慣れない制服。新鮮でありつつもごく平凡であるはずだった高校生活。
　けれど、先ほど目撃したあの出来事は、そんなありふれた期待と不安など一気に吹き飛ばしてしまった。
　止まる時間、しゃべる猫、落ちてくる女の子。
　その瞬間、自分の中で確かに何かが芽生えるのを雨寺は感じていた。
（ろっこん？　もれいび？　……うーん、なんだろう）
　雨寺は進学のために寝子島へとやってきた。古い伝承のある島だとは噂程度に聞いていたけれど、まさか入学初日に巻き込まれるとは。
　ぐるぐるした思考にはまりながら歩いていた雨寺は、ぶーん、と顔を横切る嫌な音にふと我に返った。
　やたら耳に障る羽音を鳴らす虫が、顔に近づいてくる。
「ん、わっ、やだ虫！」
　そのままよりによって耳に突撃してきた虫に、雨寺は小さく悲鳴を上げた。まさか耳に入った？　と軽くパニックになりながら、右耳を叩きつけるように必死に虫を追い払う。
　もー、なんで耳に入ってくるのよぉ！　泣きそうな声で雨寺はそう言った。
　はずだった、のだが。

――にゃー！　にゃーにゃにゃーにゃ！

　聞こえてきたのは猫の鳴き声。
　……ん？　と虫の恐怖も忘れて雨寺は言葉を失う。いや、文字通り言葉を失っていた。なぜなら……
「にゃー」
「にゃ？」
「にゃっ！」
　何を言っても響くのは猫の声！
（えええ、何、何、何なのこれ！　確かに私の声よね？　えっ？）
　混乱しながらも、雨寺はもしかして、ともう一度右耳に触れてみる。さっき虫を追い払おうと必死にこすったときに、何か耳がおかしくなってしまったのかもしれない。きっとそうだ、そうに違いない。
　……落ち着いて考えるとそんなはずないのだが、雨寺は半ば確信しつつ、右耳に触れたまま声を出した。

　辺りに響いたのは、耳慣れたギターの音色。

（わーっ！　ギ、ギターの音になってるーっ！？）
　確かめるように小さな声でささやいてみると、まるで優しく爪弾いたときのような音が口から零れ出る。歌をうたえば、ギターの響きが音色となって辺りに響いた。
　そのギターの音は雨寺がよく弾く、父譲りのギターの音色に他ならない。耳なじんだその音は混乱する彼女の心を自然と落ち着けてくれた。もしかしたら、と思考力を取り戻した雨寺は、先ほどの出来事を思い出す。
　それは他ならない、講堂と灰色のあの猫のこと。
（もしかしたら、これが私の「ろっこん」の力？）
　雨寺がそう意識した瞬間、まるでそのことが生まれたときから当たり前だったかのように、ごく自然の感覚として彼女の心に染み渡っていくのを感じた。
　そして、最初から知っていたかのように、雨寺はそっと左耳を触る。
「あー、あー……うん、戻った！」
　喉の奥から出てきた音は、まぎれもなくいつもの彼女の声。
　もしかして、と、今度は試しにピアノの音色を思い浮かべながら右耳を触ってみた。
　次はカエルの鳴き声。ヴァイオリンの音。ピストルの銃声。そして大好きなパパの声まで。
　右耳に触れるたび、無限の音たちは次々に彼女の口からあふれだす。
（すごい！　聴いたことある音、ぜんぶ出てくる！）
　まるで音楽プレーヤーのようなその力は、音楽を愛する彼女にはうってつけであった。
　一通り試した後で、雨寺はようやく左耳に触れた。
「なんだかおもしろい力をもらっちゃったかも！　どうやって使っていこうかしら」
　ふふふっ、と笑う顔は、まるで玩具を手にした子供のように輝いている。
　ちょっと変な高校生活のスタート。でもきっと楽しいことが、山のように待っているに違いないはず。
　右耳に触れ、にゃあ、ともう一度鳴いてみせると、雨寺は上機嫌にスキップしながら寮へと向かった。
　

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