【豪商ケイン】

「実を言うとですね」
　壁の花を決め込むフォルカ・ヴィクスンへ、ユリーカ・ナントカは言いました。
「今日、ご祝儀を持ってきてしまったのです。すっかり勘違いしてしまいまして」
「それって、冗談？　それとも本気？」
「え？　もちろん本当ですよ」
　きょとりと小首を傾げたユリーカへ、フォルカはバツが悪そうな顔で肩をすくめます。
「あんたって天然だからさぁ。時々どっちか分かんないのよね……」
「うふふ。いつか本当に渡せる日が来るといいですね」
　ユリーカは仮面の向こうで、にーっこり。
　勘違いとはいえ、フォルカを祝福しようと思った気持ちは本物です。彼女の気持ちはどうあれ、友人として幸福を祈っています。
　フォルカにもそれが伝わったのでしょう、彼女はユリーカの笑みにますます居心地悪そうに身動ぎしながらも、口元は緩みました。
「そろそろ、アインさんをダンスに誘ってみてはいかが？」
「あ、あたしからそんなことできないって……！」
　ユリーカはそう促しますけれど、彼女は洒落た踊りの心得などないからと、もっぱらホールのすみっこに並べられた料理にご執心です。あるいは、照れ隠しであったのかもしれませんけれど。
　当のお相手のアインは、おそらくは商人である父親の取引先の娘さんなどでしょうか。美しく着飾ったご婦人方をエスコートしては優雅なステップを披露しつつも、どこか周囲を気にしている様子……どうやらまだ、フォルカの存在には気づいていないようです。きっとこの広い古城の中に、彼女の姿を探しているのでしょう。
「名乗り出て差し上げればよろしいのに」
「そ、それは……無理だってば」
　盗賊である自分と相手との小さくない相違に、迷ってもいるらしいフォルカ。あるいは単純に、照れているだけかもしれませんけれど、彼女は足を踏み出そうとはせず、もじもじするばかりです。
　ともかくそんな彼女が可愛らしくて、ユリーカはやっぱり、くすりと笑ってしまいます。
　ホールには夜気に混じって熱気がこもっていて、喉が渇きました。フォルカに付き合って、ユリーカもグラスを手に取りひと口。
「……あら？」
　ユリーカが口にした白ワインには、どうやら星の力が宿っていたようです。
「まあ。私、男性になってしまいました」
「えっ、ユリーカなの？」
　フォルカも目を丸くしました。
　ユリーカはいつの間にやら、王子さま然とした美しい青年へと変わっておりました。衣装も男性のものへと変わって、控え目に言っても実にイケメンであります。さっそく周りのご婦人方がユリーカ青年へ熱い視線を送り、隣にいるフォルカはちょっぴり妬ましそうな視線を浴びました。
「驚いた。あんたって、男になるとカッコいいんだねぇ」
「そうですか？　ふふ、ありがとうございます♪」
　くるり一回転。どうやらユリーカも、まんざらでもなさそうです。
「せっかくですから、フォルカさん。私と踊りませんか？」
「ええ？　あたしと？」
　ここぞとばかり、ユリーカはフォルカをダンスに誘いました。
「アインさんと踊るには、お作法も覚えなくてはいけませんしね。私が手ほどきして差し上げます」
「い、いいってばあたしは……！」
「まあまあ、そう言わず。さあ、私の手を取って」
　ユリーカは流れるような所作で、１・２・３。１・２・３。フォルカはぎこちないけれど、それでもユリーカのエスコートに助けられて、拙いステップを踏みました。
「ふふ。せっかくの舞踏会ですもの、楽しみましょう？」
「そ……そうね」
　身体能力ばつぐんなフォルカも次第に慣れてきて、１・２・３・１・２・３。滑らかで流麗なダンスは、やがて少しずつ人々の目を惹きました。
　そして、
「彼女は……！　やはり来てくれたのか！」
　取り巻きの向こうから、アインがフォルカの姿を認めた、その時に。
「フォルカさ……、っ！？　な、なんだ君たちは？　なにをする、離したまえ！」
「静かに。お父上の催す舞踏会を、血で汚したくはないだろう？　我々といっしょに来てもらおうか」
　人知れず、事態は転がり始めておりました……！



「やれやれ。妙な成り行きになったものだ」
　ぼやくような口ぶりのわりに無表情なのは、旅鴉 月詠です。
　……なのですけれど、なぜだかタキシードをびしりと着込んだ男性に変身しているのは、ホールに用意されたお料理を口にしたからでしょうか。
「勇者の心得その１５！　困っている人を助けることに理由を求めるな！　あれ、その１６だっけ？　１７？」
「１８じゃなかった？」
　修羅場にも余裕しゃくしゃくは、アリス・ミーティア。隣には彼女に誘われて同行した、ルーク・ポーラスターの姿もありました。
　そう、修羅場！　三人は今古城の裏手、人気のない荷物の搬入口付近で、剣呑な刺客たちに囲まれておりました。数は十数人もいるでしょうか。
　といって彼らの狙いは、月詠やアリス、ルークではありませんでしたけれど。
「まったく。ご婦人は丁重に扱えとママに教わらなかったのかい、チンピラども」
「抜かせ、ケイン・マクブライド！　貴様の強引なやり口に、どれだけの同業者が潰されてきたか……俺たちがここに天誅を下す！」
　人間、獣人、エルフにドワーフ。種族もさまざまな男たちは手に手に武器を構え、恰幅の良い狼の獣人を、アリスや月詠たちといっしょくたにぐるりと包囲しています。
　彼らの放つ威圧感に動じることもなく、厚顔不遜な態度を崩さず葉巻をふかす、銀色の毛並みの狼。彼こそがアイン・マクブライドの父、豪商ケイン・マクブライドでありました。
　アリスは月明かりに鈍く輝く愛銃を構えて襲撃者らを牽制しつつ、ケインへ尋ねます。
「ケインさんって、悪い人なの？　だから狙われてるの？」
「否定はせんがね。だが、俺は商売人だ。顧客を満たし、家族を不自由なく食わせていくためなら、無能な商売敵に手を抜く道理もないさ」
「き、貴様……！」
　いきりたつ男たち。どうやらケインは肝の据わった人物で、それに他人を怒らせる才能には事欠かないタイプです。
　月詠青年は一歩引いて、ケインの傍らを固めます。彼女は、というかいまは彼ですけれど、あまり戦うつもりはありません。仲間たちを信用しているので……あるいは単に、めんどうくさいからかもしれませんけれど。
「マクブライド。あなたについては、私も独自に調べてみたよ。敵が多いようだね」
「まあな。ご覧のとおりさ」
「だがあなたにまつわる噂の多くは、私の調査によれば実のところ、誇張表現に過ぎないようだ。商売人であるからにはしたたかさも必要というものだろう」
　月詠はケインに負けず劣らずの不遜な態度で、男たちへ向かってあごをしゃくり、
「要するに、彼らは敗北者だ。商売の世界は弱肉強食。君は強引だが真っ当な手段でのし上がり、そのあおりを食ったのが彼らだったに過ぎない」
「詳しいな。お前さんたちは何者だい？　どこから俺のことを聞いた」
「情報はどこにでも転がっているものだ。舞踏会の招待客や、ゴーストたちにも聞き込みをね……ま、対価は安いものだったよ」
　タキシードの襟を物珍しげにさすってみたあたり、用意されたイラズラ料理を口にしたのは、情報を引き出すためだったのでしょう。
「そして何者かと問われるならば。かいつまめば、あなたの息子を見極めに来たというところかな」
「私たちの友だちのためにね！」
　薄くイケメンスマイルを浮かべた月詠と、笑みながらも銃の狙いは外さないアリスが言うと、ケインはどこか訳知り顔でうなずきました。
「なるほど。するとお前さんたちが、フォルカというお嬢さんの……」
「な、なにをごちゃごちゃとくっちゃべってやがる！」
　蚊帳の外に傷ついたのか、男たちが銃や刃をこちらへ向け凄みます。
「ええい、めんどくせえ！　見られたからには全員始末するんだ！」
　力強くうなずく男たち。
　ルークも長剣を正眼に構えて、
「そっちがその気なら、手加減はしないぜ！」
　一歩も引くつもりはありません。
　舞踏会の喧噪は遠く、にわかに勃発するバトルに、彼らは瞬く間に呑み込まれていきました。