風呂の日？｜リアクション

風呂の日？

　ポツポツと街灯に明かりが灯る。風の冷たさは一段と厳しくなった。
　背を丸めた水守流は帰り道を急ぐ。黒いダウンジャケットのポケットに両手を入れて、さみー、と口にした。強い風に吹かれる度に口癖のように繰り返す。
　角を曲がれば桜花寮が見えるところまでやってきた。
　流の表情は冴えない。歩幅は極端に狭くなった。
「……いや、違うな」
　不満を零して来た道を小走りで戻る。
　古めかしい瓦屋根を目にした。藍色の暖簾には『湯』の文字が見て取れる。流は嬉々とした表情で駆け込んだ。
「マジか！？」
　入浴料が半額に設定されていた。来る二十六日、風呂の日に関連するサービスと貼り出された紙に書いてあった。
「いきなりのイベントボーナスかよ」
　流はいそいそと脱衣場に向かう。木製のロッカーに脱いだ服を詰め込んだ。タオルを肩に引っ掛けて硝子戸を開けた。
　白い頂が目に飛び込んできた。雄大な富士山が壁一面に描かれていた。
「これだよ、これ」
　流は空いているところに座って身体と頭を手早く洗う。絞ったタオルを畳んで頭に載せると広々とした浴槽に肩まで浸かった。縁に両腕を広げるように置いて壁の富士山を見上げる。
「あー、復活の泉に浸かっているようだ……生き返るぜー……」
　時間帯に恵まれたのか。先客の老人が出ていって今は流だけとなっている。
「……今なら泳げるな」
　神妙な顔は一瞬で崩れた。子供かよ、と口にして笑った。

　どれくらいの時間が経ったのか。頭のタオルを手に取って顔を拭う。指先には皺が寄っていた。
「あがるか」
　大きく伸びをして浴室を出た。タオルで全身の水気を取って服を着た。
「こんなの、あったんだ」
　目立たない位置にマッサージチェアが置いてあった。肘掛けの先のコイン投入口には紙テープが貼られ、『本日無料』と書かれていた。
「ログインボーナスみたいだな」
　流は遠慮なく座った。操作パネルを使って背もたれを斜めで固定した。幾つかあるコースの一つを選ぶ。
　スタートボタンを押した。丸みのある突起が迫り出し、両肩を優しく揉み解す。
「ゲームで凝った肩が……いい感じだ……」
　上半身を中心に細かい振動が伝わる。急速に瞼が重くなり、完全に目は閉じられた。

「……どこだ、ここ？」
　流は寝ぼけ眼で周囲を見回す。
「俺は時を跳躍したのか」
　独特な表現で立ち上がる。銭湯をあとにする前に自動販売機に立ち寄った。硬貨を投入して牛乳を購入。腰に片手を当てて一気に飲み干した。
「お約束だよな」
　薄っすらと白い髭を生やして言った。手の甲で拭うと明るい顔で外に出た。
「え、マジで」
　完全に日が暮れていた。空には星明りが瞬いている。
　突っ立っていると強い風に吹かれた。
「なんて冷たさだ」
　流は桜花寮に向けて走り出す。
「なんか、身体が軽くなったようだ」
　自然と笑みが零れる。
　流は足音を響かせて夜を駆け抜けていった。

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