風呂の日？｜リアクション

風呂の日？

　正午を過ぎて寝子島駅周辺の人通りが増えてきた。
「風呂の日の決定を記念して色々なところが割引キャンペーンをしていまーす！　情報満載のチラシをどうぞー！」
　恵御納夏朝は左手に嵌めたパペットと共に活発に動き回る。小さな子供は猫のコミカルな動作に声を上げて喜んだ。
「ありがとう！」
「またにゃー」
　左手のハルくんの口をパクパクさせて夏朝が微かに唇を動かした。
　親子連れを見送ると改札に目を向ける。大勢の人が現れて夏朝は呆然と立ち尽くす。人々の不審な目を一身に受けても反応がなかった。
　人通りが途絶えた。猫の鳴き声が足元から聞こえる。夏朝は頭を振って笑顔となってしゃがみ込む。
「心配させちゃったね。僕は大丈夫だよ。ちょっとした後遺症だから」
「にゃー」
　人懐っこい猫はハルくんに鼻を近づける。咥えたチラシにも興味を示した。
「チラシが欲しいの？」
「にゃーん」
　甘えた声を出した。そっと差し出すとチラシを咥えて走り出す。
「またねー」
　夏朝は小さく手を振ると気合を入れ直し、チラシ配りに専念した。

　青い空に鮮やかな赤色が滲み出す。渡された紙袋の中には一枚のチラシも残されていない。
　間もなく雇い主である男性が現れた。
「どうでしたか」
「なんとかなりました」
　夏朝は夕日に照らされた顔で紙袋の中身を見せた。男性は自然な笑みを返し、用意した封筒を手渡す。
「本当に今日はありがとうございました」
「こちらこそ」
　男性はにこやかな顔で西日の中に消えていった。
　夏朝はコートのポケットから折り畳んだチラシを取り出して広げた。ハルくんに咥えさせると自身に差し出す。
「かーさちゃんにあげる」
「ありがとう、ハルくん。足が疲れたから僕も温かいお風呂に入るね」
「それがいいよ」
　夏朝は笑顔で歩き出す。ふと猫が消えた方向に目を向けた。
「あの猫さんもお風呂に入っているのかな」
　満面の笑みを浮かべた。

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