「ひ……ひぃっ……！！」
　片側の退路はすでに、本物のチコを取り巻いている者達が居る。
　おっさんはチコの姿のまま、八神 修だけが塞いでいる方を目掛けて走り出した。
「八神、通すな！」
　ガチン、と御剣 刀の脳裏で撃鉄が落ちる音が響く。
「言われなくても、そうする！」
　修が腰を低く落として構える。
「逃がすか！」
　同時に、冴木 竜司も動いた。

　おっさんには、突然目の前に刀が現れて、通せんぼしたように見えただろう。
　たたらを踏んで、おっさんは上目遣いに瞬きする。
「え、ええっと……皆、何言ってるの？　あたし、チコだよ？
　そうだ、竜司お兄ちゃんにも、飴をどうぞ」
　おっさんがポケットから、ニャルキーを取り出して竜司に掲げた。
　最初に、竜司があげた物だ。

「――それを受け取っちゃダメだ！」
　雛形 喜姫の忠告の声が響く。

　おっさんの おどおどした様子は、幼女そのものだ。竜司は目を落とすと、飴に……いや、飴には手を伸ばさず、そっと、けれどもしっかりと華奢な手首を掴んだ。
「確かに……俺もロリコン。幼女と同じ目線で遊びたい、おっさんの気持ちはわからなくはない！」
「いや、それわかっちゃダメだろ……」
　刀の突っ込みは、華麗にスルーされた。
「だが、今回おっさんがやった事は、ロリコンとしてあるまじき行為！
　Yes、ロリータ！　No、タッチ！　だろうが。幼女を紳士的に、心身共に守り愛でてこそのロリコン！！
　幼女に危害を加えてない？　このバカタコがー！」
　相手がまだ変身を解除していないので、裏拳こそかまさないが、竜司は声を荒げる。
「突然、自分がおっさんになってしまった、幼女の気持ちを考えろ！　それでもアンタはロリコンか！」
「うぅ……」
　おっさんは、葛藤しているようだ。
　刀もロリコンうんぬんは、ちょっと理解の範疇を超えていたものの、おっさんを諭す。
「その力をやたらと使われては困るんです、だから今後その力を使うのを止めてください。
　もし、貴方が再びその力を使ったなら、覚悟して下さい。
　俺も似たような能力を持っていますから……警察が役に立たない事は、ご理解して頂けるでしょう？」

　砂田 詩穂も、下駄とは思えないスピードで、ここぞと駆けて来た。
「おっさん、いい歳ぶっこいて何しとんのじゃ。
　今や、ちょーっと声掛けただけで、防犯ブザー鳴らされる時代だぞ？
　今回はこの激カワ幼女だったから出来ちゃっただけで、カウンター食らう事もあったんだぞ。
　そしたらおっさん、気が動転したりして何してたか解らんのだぞ！
　あと今後この幼女が成長するにあたり、何しちゃったか解ってるんですかねぇ？　うん？」

「そうとも。幼い心に傷を負わせ、欲望の捌け口に使った責任は、どう取るおつもりですか？」
　低く問うた修の口調は静かだが、おっさんへの激しい軽蔑と憎悪が篭っている。
　おっさんが逃亡しそうなら、ろっこんの力で眠らせようと考えていた日暮 ねむるは、その必要もないかなと欠伸をし掛け、詰め寄られた おっさんが観念しかけた。

　その時。


「あたしを返してっ！！」


「チコちゃん！？」
　繋いでいた円城 徹の手を離れ、チコが猛然とおっさんに駆ける。
「チコちゃん、やめるのだ！」
　後木 真央は咄嗟にチコの腕を掴もうとしたが、おっさんになったチコの力は、必死なせいもあり容易に抑えられるものではなかった。
　真央の指をすり抜けていったチコが、おっさんを掴み上げた。

「あたしを、おじさんにしたの、あんたでしょう！？　早く返して！」

「チコちゃん！？　逃げて」
　それがチコとは知らない姉妹達が、悲鳴を上げて掌で目を覆った。
　手加減を知らない右腕が、容赦なく子供の姿をした、おっさんに振り下ろされようとしていた。


　おっさんは ろっこんを解除しようとしたが、動揺したせいもあり、間に合わなかった。
　頭を抱えて、がくがくと震えながら、おっさんは衝撃を待った。
　しかしチコの振り上げられた右腕は、いつまで待っても落ちてこなかった。
　恐る恐る顔を開けてみれば、暴れるチコを修、刀、竜司が三人がかりで取り押さえている。
「チコ……！」
「落ち着け」
「チコちゃん、大丈夫だから！　お兄さんが、ちゃんと元に戻してやるから、な？」

「チコちゃん」
　ゆっくりとやって来た、ねむるがチコの額に優しく手を触れた。
「……少しだけ、おやすみ……ごめんね」
　【In to the Sleep...】
　チコが、がくりと膝をつき、眠りの世界に落ち。
　チコの姉妹達が、目を開けた時。
　チコは元の幼い少女の姿を、取り戻していた。


「勘違いするなよ、チコのためだ。決して、あんたのためじゃない！」
　忌々しげに修が、吐き捨てる。その手の中には、ハンディカメラがあり、これまでの事が記録されていた。
　新聞部の部長として、幅広く活動中の彼は、そうした記録媒体を数多く有しているのだ。
　その中には先程、チコがおっさんに掴みかかった場面も、収められていた。
　無論、姿が逆転しているのだから、世間から見れば中年男性が、幼い少女を暴行しようとしている様に見えるだろう。起爆材料には、十分すぎる。

「チコちゃんが、人を傷つけなくて良かったのだ……」
　ほっとした真央が呟き、緑色の瞳が揺れた。

「怖かったでしょう？　……わかりませんか？
　貴方がチコにした事は、チコが貴方にしようとした事と、同じです」
　逆巻 天野が、放心し座り込んだままの、おっさんに言った。
　チコに目をやると、竜司に公園のベンチに寝かされている所だった。
「良かったわね、元に戻れて」
　黒依 アリーセは、チコの様子を覗き込むと、溢れた涙を拭ってやった。
　仄が、その手の中にロリポップを、握らせた。
「大義だったな。しかし、もう心配はない」

「チコちゃん、どうしたの？　怖いおじさんに、叩かれたの？」
「チコちゃん、動かないよ。死んじゃったの？」
　泣き出しそうなチコの姉妹に、竜司はサムズアップ。
「心配いらないよ。ちょっと怖い目にあっちゃったけど、すぐに目を覚ますさ。もう何もかも元通りだよ！」
　桜井 ラッセルは彼女らの頭を撫でながら、笑顔を見せた。
「……俺も弟がいてさ。お前らの事、見てられなかったの。
　ケンカしても遊んでも、仲たがいしても、気になって辛いこともあるけど信じてる。
　大事なやつだから、早く戻したかった。お前らはどうだ？　これからも3人仲良しでいろよ？」
「「うん！」」
　力一杯頷く彼女らの小さな手が、チコに重ねられた。


「子供達は繊細で傷つきやすいものです。
　我々大人は、正しい力の振るい方を学ばねば……そう思われませんか？」
　徹は、あくまでやんわりと、おっさんをたしなめた。
「はい……申し訳ありません……。二度と、こんな真似は致しません」

「口で反省等、幾らでも言えるだろう。
　罪には罰を。子供の成長を阻害しようとした責任は、己の社会的な成長と引換えにしてもらう」
　おっさんから名前や会社など、個人データを引き出そうとする修を、天野は止めに掛かった。
「君は反省している人を、いたぶるのが趣味なのかい？」
「心外だな。この手の性犯罪者にかける情けが、俺には無いだけだ」
「性犯罪って程でもないだろう。過剰な制裁は必要ない、それじゃ弱いものいじめだよ。
　この男のしていた事と、変わらない」
　むっとした顔で、修は天野を睨む。
「じゃあ、どうしろと」
「少しだけ、時間をもらえないかな？
　彼がまた同じ事を繰り返すなら、制裁でも何でも、君が好きなようにしたらいい。
　その時は、僕も止めないよ」
　修は憮然としていたが、おっさんは天野の提案で了承し、身元を修らに伝えると、その場で改めて土下座して詫びた。
　無論、修の説教はその後も続き、厳しく糾弾された事は言うまでもない。
　刀も、がっつりと おっさんに脅しを加えていた。


「まあしかし、これにて一件落着、かな？」
　喜姫の言葉が、全てを物語っていた。