街でチラシを受け取ったタイラ・トラントゥールが思い出したのは、スイーツバイキングに赴いた折のこと。
（願いの叶うプリンとあの時にふいに浮かんだ事、そしてこのチラシ……）
　この機会に便乗するのもありかもしれない、と、タイラはパーティーの詳細に目を通した。
　源 竜世の誕生日がとうに過ぎていたことを知った時の、少しの悔しさが蘇る。
（素直に祝うのも癪だが、アイツには借りがあるからな）
　と、タイラは胸の内に呟いた。

　そして。

「なんでもない日を祝うのか！？　なんだそれ、すっげー楽しそう！」
　タイラが持ち帰ったチラシを手渡せば、竜世は、琥珀の双眸をわくわくと煌めかせた。
「お前、こういったイベントは好きだろう」
「あったりまえじゃん！　なあなあ、タイラも行くだろ？」
「……まあ、一応はそのつもりだ。お前ひとりだと危なっかしくて敵わないからな」
「うっし！　そうと決まればおいわいだな！」
　まかせとけ！　と気合十分に拳を握る竜世を目に、タイラは呆れたように息を吐く。
　そのため息の中には、ごく密やかな安堵の色も滲んでいた。

※

　パーティー当日の朝、タイラは、ひとりで《cafe眠り猫》へと向かった。
　話は、既に通してある。
　店内へと足を踏み入れれば、
「あ、タイラ君だね？　おはよう。このエプロンを付けて、あっちへどうぞ」
　と、スタッフににこやかに迎え入れられた。
　かくしてタイラは、厨房に立ち、ケーキ作りに着手する。
　薄く丁寧に焼き上げた蜂蜜色の生地に挟むのは、苺パウダーを混ぜ込んだ生クリームと、瑞々しい苺。
　苺とブルーベリーとクリームで飾り付ければ、苺のミルクレープの完成だ。
（前に苺が好きだと言っていたからな。それに……アイツの色）
　眩しいものを見るみたいに僅か目を細めて、けれどタイラはすぐに真剣な表情を取り戻すと、
　――Bon anniversaire！
　と、チョコペンでミルクレープの上に言葉を紡いだ。
（フランス語なら、アイツには解らないだろう）
　今度こそ完成したミルクレープの前で、喜んで貰えるだろうかと、タイラは表情を緩ませ、
（って、いや、これは借りを返すだけだ！）
　と頭を振って、ここにはいない彼を思って意地を張り、己の心を誤魔化した。

※

「なんでもない日おめでとう、タイラ！」
　パーティー会場に、竜世の元気な声が、輝きを散らすみたいに響き渡る。
　そして、タイラが、少し声量を落とせと訴えるよりも早くに、
「これ、プレゼントな！」
　と、タイラの手に、とびっきりのにこにこ顔で、折り紙で作った作品を握らせた。
　驚きに、タイラの露草色の目が瞠られる。
「な！？　これは……バルティーグルか？」
「そう！　けっこううまくできてるだろ？」
　えっへん！　とばかりに、誇らしげに胸を張る竜世。続けて、
「スターライトナイトも作りたかったけど、いい赤が無かったんだよなー」
　と、ちょっぴり唇を尖らせて零す竜世を前に、
（……サプライズのつもりが、何だか、負けた気分だ……）
　なんて、タイラは折り紙製のバルティーグルを眺めながら、眉間に皺を寄せた。
　タイラの表情の変化に目敏く気付いて、竜世が、ぱちぱちと瞳を瞬かせる。
「？　タイラ？　どーしたんだ？　怖い顔になってるぞ」
「何でもない。それよりほら、手を出せ」
「ん？　タイラも何かくれんのか？」
　ごく素直に差し出された手のひらに、小型のケースを乗せてやるタイラ。
　ケースの中身は、カプセルギア専用のメンテナンスキットだ。
　興味津々ケースを開けた竜世が、またも声を光らせる。
「うわっ！　すっげー強そうな道具がいっぱいじゃん！」
「……お返しだ。お前は、ギアの手入れなどきっちりしなさそうだからな」
「スターライトナイトの手入れ……こういうの使ってはやったことなかったな」
「ふん。予想通りだな。長持ちさせたいなら、メンテナンスはしっかりしろ」
「へへ、ありがとな、タイラ。……けど、こんなのほんとにもらっていいのか？」
　ここに来て初めて、竜世の表情と声に躊躇うような色が混ざった。
　だって、手の中の強そうな道具は、いかにも上等な品に見える。
　へにょり、と下がってしまった竜世の眉を見て、

「……構わない。誕生日プレゼントだからな」
　と、タイラは小さな小さな声でぽそりと零し、視線を明後日の方向に逸らした。
　へ？　と、竜世の声が跳ねる。
「……たんじょう日って。オレのたんじょう日、ずっとさきだぜ？」
　身体ごと大きく首を傾げ、「ん～？」と不思議そうに唸る竜世。
　そんな竜世に向かって、タイラは、ぎゃんと叫んだ。
「う、煩い！　貰ってばかりは、ボクのプライドが許さないんだ」
　この言葉を受けてなお、竜世は、「んー」と暫し身体を傾けたまま思案していたが、じきに、
「まあいいか！　だって、タイラががんばってえらんでくれたんだろ！」
　と、かんばせに、ぴっかぴっかの笑みを乗せて言い切った。
　タイラの瞳に、狼狽の色が揺れる。
「そ、それより！」
「うん？　なんだ、タイラ？」
「こっちはホットケーキのお返しだ。……一応、ボクが作った」
　タイラが、ちらと眼差しをスタッフの方へと向ければ、すぐに運ばれてきたのは、手作りのミルクレープ。
　テーブルの上に置かれた豪華なケーキを前に、竜世はくるりと目を丸くした。
「えっ、このケーキも！？　スゲーなタイラ！」
「……いいから、黙って食べろ。取り分けるぞ」
　言われて、期待と興奮を隠そうともせずに、ケーキが皿に乗るのを待つ竜世。
　ほら、と差し出された、魅惑の甘味が鎮座する皿を受け取るや、
「いただきまーす！」
　と、竜世は幸せ顔でフォークで大きく切り分けたミルクレープを口に運んだ。
「ん、めちゃくちゃうまいな、これ！　イチゴもいっぱいだ！」
　口元に淡いピンクのクリームを付けたまま、満面の笑みを零したあとで、
「……あ！　そうだ、タイラのたんじょう日はいつなんだよ！？」
　と、竜世は声を弾ませる。
「お礼においわいしてやるから！　なっ？」
　ずずいっと迫る竜世に「落ち着け」と言ったあとでタイラはため息を吐き、
「……８月８日だ」
　と短く応じた。
　すぐさま、「えー！」と、竜世が不平の声を上げる。
「こないだ終わったじゃん！　なんでその日にいわねーんだよ！」
「別に、ボクの事はいいんだ」
　タイラは静かにそう答えたけれど、それでは、竜世の気は収まらない。

「タイラのハクジョーモノ！」
　と、ほっぺをむーっと膨らませての大ブーイングだ。
「さっき折り紙を貰っただろう、それで充分だ」
「それはそれ！　これはこれだろっ！？」
　言い返し、竜世は腕を組んでむむむと考える。
（もう、なんでもない日のプレゼントでバルティーグル折り紙はあげちゃったし……）
　ぐらぐらの祭りでゲットしたパーツは？　とも思い付きはしたものの、
（……うーん、なんかちがう。――あ、そーだ！）
　思い付きに瞳を晴らして、竜世は、皿の上の大きな苺をそっと手に取った。
　そして、にぱっと、思いっきり明るい笑顔をタイラに向ける。
「しょーがねえ、このとっておきのイチゴをタイラにやろう！」
「は？　いや、ボクは……」
「って、たんじょう日プレゼントなんだからいらないはなしだからな！　ほらタイラ、口開けろ！」
　拒否権はなし！　とばかりに口元にぐいぐい運ばれた苺を、タイラは仕方なしにぱくりとした。
　心にまで染みるような甘さが、口の中を満たす。
「どーだ！　美味しいだろ！　オレのとっておき！」
　にひひ、と、悪戯っぽく白い歯を見せて、竜世が笑う。
　タイラは大仰に嘆息してみせて――それから、竜世に見咎められないように、ごく仄かに口元を緩めた。
　竜世がくれた、折り紙を受け取った時の嬉しさを思う。
（祝うつもりが、逆に祝われてしまうとはな）
　コイツには叶わないな、と悔しく思うも、胸には、あたたかな気持ちが満ち満ちて。
「タイラ、今日は、いーっぱい楽しもうな！」
　溌溂とした声で言って、竜世は、お日さまのような満点の笑顔を咲かせた。