はじまりのセプテンバー｜リアクション

はじまりのセプテンバー

　北風貴子と別れ猫鳴館への帰り道、なんだかまっすぐ帰るのが惜しくなって、伊賀解理は石段の途中に腰を下ろしている。
「伊賀じゃないか。どうした？」
「おや八神氏」
　制服姿の八神修だった。相変わらず高そうな靴を履いている。足を止めて貴子を見上げる。
「いま下校とは、午前中授業の日とは思えぬ遅いお帰りで……部活？」
「いや、学校図書室にずっといたんだ。高校課程は自学履修済みなので予定通り夏から受験勉強にシフトしてる」
　嫌味なくそういう言葉が出るのが彼らしい。
　期せずして将来にかかわる発言を修から聞き、解理はいくらか戸惑う。だがその戸惑いは面に出さず軽口で返した。
「またまた－、八神氏の成績ならそんな勉強しなくても大丈夫でしょ？　僕たちまだ二年生だよ」
　そんなことはない、と修は首を振った。
「なにもせず良い成績は取れない。俺は何でもできるわけじゃないよ」
「意外なご回答」
　仮にそうだとしても、水面下の足の動きを見せぬ白鳥のような存在が八神修だと思っていただけに、解理には少し意外だった。
「できるよう日々努力をする、ただそれだけなんだ。できないこともまだまだ多いよ。俺は天才ではない。だけど努力の力を知っている。努力は人を裏切らない」
「日々努力か……皮肉じゃなく、印刷して机の前に貼っておきたいような名言だと思うよ」
　でもどうして自宅ではなく図書室で？　と解理が聞くと、
「それが俺のいけないところで」
　と前置きして修は言った。
「自室でもいいんだけど、そうするとつい、ペットたちを構いたくなっちゃうんでな」
「そっかー」
　じゃあ、と言って修は立ち去った。小脇に数冊、図書室のものと思われる書籍を抱えている。化学の学術書らしかった。帰宅してからも人勉強するのだろうか。
　八神氏も色々考えているのだねえ、と解理はため息をついた。
　八神氏なりに、悩んだり迷ったりもしているのかもしれないね。
　九月がはじまった。学校生活が再スタートした。
　行きたい場所は決まっているけれど、そこにいたる道が分からない。見つからない。
　解理は手のひらを夕方の太陽に向けてみる。
　貴子の手の感触を、まだ肌が覚えていた。ひんやりとした体温まで。

　もし僕が自分の望みを告白して、貴子さんも同じ気持ちだと言ってくれたらすごく嬉しいけど……いやノンケがどうとかその反対とかそういう意味じゃなくて！　それに貴子さんに限って……でももし、そういう意味でと言われたら……どうしよう！
　ああもう混乱して――と頭を抱えた貴子の足元を、ひたひたと横切るものがあった。
　グレーの雄猫だ。ハチワレ模様に無愛想な目、テオドロス・バルツァ、別名テオである。
　これは天啓か、手を合わせるような心境で解理は呼びかける。
「おおテオ神様ァ！　僕はどうしたらいいか教え……」
　知らん、というように尻尾を立てて、テオは解理を無視して行ってしまう。
　すがるような目で背を追ったが同じだった。あっという間に猫は姿を消している。まるで最初からいなかったかのように。
「……だろうね。そういう反応だと思ってたよ！」
　あーもうっ！　解理の声だけが、無人の通学路にこだましている。