七色の星、願い託して｜リアクション

七色の星、願い託して

★白木蓮は夢に咲く（弥逢遊琳）

　――ここは、どこだろう。
　そう思って、けれどすぐに、少年は首を横に振った。
　ここが“どこ”かは、よくわかっている。
　少年が暮らす、小さな村の外れだ。
　だってほら、この辺りには一本しかない白木蓮の、その花が咲いている。
　眩しいような純白の、ふっくらとした丸みと温さを帯びたあの花が、零れんばかりに。
　少年は、白木蓮の花が好きだ。
　だから春になると、度々、この場所を訪れる。
　でも今は、粗末な家の中にまで冷たい風が容赦なしに吹き込む、厳しい冬の最中のはずだ。
　それに少年は――記憶が確かならば――冬の森に、分け入っていったところだった。
　不思議に思いつつも、少年は白木蓮の木の方へと、ゆるゆると歩を進めた。
　辺りには、白い霧がこっくりと立ち込めている。
　だから少年は、ギリギリまで、“その人”の姿に気付かない。
　“その人”は、白木蓮の枝と枝が分かれるところに腰を下ろし、枝にもたれて眠っていた。
　美しい、人だった。
「あ……」
　漏れた声に、“その人”は、ゆるりと瞼を開く。
　陽の光をとろりと煮詰めたような、蜜の如き黄色の瞳。
　それが、僅かに揺れたあとで、少年を捉える。
　“その人”の口元に、ふっと、蕾が綻ぶような柔らかな微笑が乗った。
　ひとつ結びにした黒髪が、しゃらと流れる。
「ああ、来たんだね」
　と、“その人”は言った。
　何でもないふうで。でも、少し嬉しそうに。
「君を待っていたんだよ。でも、待ちくたびれて、少し眠ってしまったみたいだ」
　あなたは誰ですか、と震える声で少年は問うた。
　こんな人は、少年の村にはいない。
　こんなにも気高く凛として、それでいてどこまでも優しい眼差しをした人を、少年は知らない。
　少年の問いを受けて、“その人”は、白い着物の袖で口元を押さえ、ふふ、と笑った。
「それは、秘密にしておこうかな。君が自分で気付いてくれる方が、面白いし、嬉しいからね」
　穏やかな、けれど楽しげな声で言って、“その人”はふわりと身軽に地面へととび降りる。
　まるで、羽毛のような軽やかさだ。
　およそ、体重というものは感じられない。
　驚く少年の前で、“その人”はあくまでも己のペースを崩さずに「さて、」と言った。
「君、冬の森は危ないって、知っているよね？　僕が気付くのがもう少し遅かったら、危なかったんだよ」
「え……、」
「だけど、うん。今日は、お説教は抜きにしようか。妹を探していたんだものね？」
　君の優しさが僕は嫌いじゃないんだ、と“その人”の凪いだ、けれどあたたかな声。
「彼女と、一緒にお帰り。それで、また春に、元気な顔を見せてもらえたらいいから」
　あの、と、少年が何かを問いかけた、その刹那。
　風が、ぶわりと吹いた。
　白い花びらの、眩暈がするほど鮮やかな嵐。
　白の向こうで、“その人”は、「またね」と悪戯っぽく目を細めた。

　次に気が付くと、少年は、村外れの白木蓮の木の根元で小さな妹の身体を抱き締めていた。
　目の奥には、まだあの白が残っているけれど、見上げても、そこに春の花は咲いていない。
　けれど、吹く風に、白木蓮の花が放つあのふくよかな香りが混ざっていた。

「――大切なモノは、もう決して手放さないでね」
　白木蓮の木の上で、遊琳――そういう名を得た、白木蓮の精霊だ――は小さく呟いた。
　遊琳は、長い長い間、この村を見守り続けている。
　時にはこうして、村の、自分を愛してくれる人間を、直接手助けすることもあった。
　あの少年は、自分の正体に気が付くだろうか。
　花が開く季節にはいつも、きらきらと輝く目で自分を見上げてくれるあの子は。
「……ともあれ、今はまだ、眠っていようかな。寒いのは嫌いだからね」