森繁美術館に行こう｜リアクション

森繁美術館に行こう

【週末の過ごし方】

　土曜日の朝の九時。
　真辺敬子は、寝子島高校の正門前に車をとめて、弟の現れるのを待っていた。
　木天蓼市で一人暮らしをしている敬子がなぜ休日の午前中にこんなところにいるのかといえば、先日実家に立ち寄った際に、母親から荷物を預かってしまったためだ。
　気軽に「近いからお願い」と渡された紙袋には、弟の衣類が入っている。
「まあ、そりゃ近いっちゃ近いけどな」
　海を隔てているとはいえ、車を使えば、本土からさほどの時間もかからない。
　敬子も常々、買い物等で気軽に寝子島へは足を運ぶ。

　そこへのんきそうな表情をして、弟の真辺伸幸が姿を現した。
「来たか」
　車中を出た敬子は、紙袋をかざしてみせる。
「ねーさん、おはようなのねー」
「ノブ、お前相変わらずだな。ほいよ、これ」
「いつもありがとうだねぇ」
「これってお前の夏服だろ？　これだけじゃなくて、自分でも買い足せよ」
「ぬー……。うーん、必要だったらねぇー」
「まったく」
　マイペースな口調に呆れると同時にほっとする。
「ま、元気ならいいか」
　肩をすくめて校舎に目を向ける。
　自分の母校に、今は弟が通っているというのも感慨深い。
「ノブ、ちゃんと飯食ってんの？　栄養かたよらないようにしろよ」
「んーと、大丈夫なのよ－。寮でごはん作ってくれる人とか、いろいろいるからー」
「ああ、あとほら、寝癖ももう少しくらいなんとかなんないのか」
「ぬーん。これはねぇ、自然に発生するものなのよー……」
　そんなとりとめもない話を交わして、敬子は再び車に乗り込んだ。
「ん。じゃーな。ちゃんと家にも連絡しろよ」
「りょうかーい」
　手を振ってエンジンをかける。

　走り去る車を見送って、伸幸は周囲を見回した。
「さてさてー、お部屋に『帰るー』……のよー」
　人目のない物陰に隠れて、ろっこん『帰宅ロジック』を発動させる。
　すると次の瞬間には、伸幸は荷物ごと自室の机の上に転移していた。
　荷物のかさばるときには、重宝する能力だ。
「さてー、今日はこれからお出かけなのねー」
　昼からは別件の用がある。
　伸幸は机からおりて支度を始めた。

　私服のジャージ姿にベルトポーチをぶらさげて、背中に猫をはりつけた少女が旧市街を駆けていた。
　重石の代わりにしようと、ろっこんで出した猫の名前は『がおー』。
　少女の名前は後木真央。
　とっても元気で天真爛漫な少女は、ただいま自主練をかねて、猫鳴館から落神神社、落神神社から寝子島神社、寝子島神社から美術館へと走って向かっているのである。
「ねーこネコ猫ネコなのだー♪　新しい美猫さまとの運命的な出会いが待ってるかもなのだ。ドキドキなのだ－！」
　猫好きの真央のポーチの中には、小分けにされた煮干しとマタタビ粉が常に用意されている。
「美術館で美猫さまが待っているのだ！！　わーい！」

　一方。
　八神修の自宅では、自転車をひっぱりだしてきた修に対し、ペットたちの心配そうな眼差しがそそがれていた。
「ああミルク、大丈夫だ。無理せずにペースを守って走るから」
　すりよる犬や猫の頭を順になでて、修は自転車にまたがる。
「心配はいらない。美術館まで、行って帰ってくるだけだからな」
　そうしてペダルをこぎだした修の息がきれるまでに、さして時間はかからなかった。
「くっ……。美術館も意外と遠いものだな」
　こころなしか、ペダルも徐々に重くなってきているようだ。
　春先から体力の向上を目指して努力を重ねてきたが、成果があらわれるのはいつの日か。
　きっとまだまだ先の話になるのだろう。
「いや、でもっ、……目的地がはっきりとしているのは、いいこと、だよ、なっ」
　――美術館は、まだ遠い。

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