犬だっているんです！｜リアクション

犬だっているんです！

「キャー！　犬！　いぬー！」
甲高い悲鳴が聞こえる。声の主は残念ながら、犬が苦手な性質のようだ。その声を聞いた綾音は、はっと顔を上げる。折口ゆづきと恵御納夏朝の手をぱっと離して、声のするほう、廊下の先へ走り出した。
「あっ、待って！　綾音ちゃん！」
「いえやす、いえやすー！　どこなのー!?」
勢いよく駆け出した綾音は、声のした場所にたどり着く前につまずき、前のめりに転んでしまった。
「あっ！」
慌ててゆづきと夏朝が駆け寄る。そばにいた小柄な女生徒が泣きべそをかく綾音に手を貸し、立ち上がらせた。
「ほらほら、泣かないで？　だいじょうぶだからね」
ショートウェーブの髪がふわふわと揺れる。
「ボクは桜庭円。君は？」

　新たな助っ人、円が加わり、いえやす捜索隊は大森綾音、恵御納夏朝、折口ゆづき、桜庭円の四人、いや、円の連れである子猫のにゃーくんを加えて、四人と一匹になった。にゃーくんは綾音の心を癒すマスコットとなって、その腕に抱かれている。いつも円がするように、にゃーくんの前足を持って「綾音ちゃん、こんにちはー」とあいさつのしぐさを取らせると、綾音は涙を拭いてにっこり笑ったのだ。
　一行がいるのは一階の廊下だ。女生徒三人が捜索対象のいえやすについて尋ね、綾音がぽつりぽつりと答えると言う形で、子犬を探しながら進んでいた。円はふと思いついたことを綾音に聞く。
「なんで、いえやすちゃんは逃げちゃったんだろうね？」
その問いに、綾音は幼い顔を曇らせた。
「うんとね。私が怒ったから、だと、思う……」
「どうして怒ったのかな？」
「いえやすは最近なんでもかじるの。ちっちゃいけど、噛む力はすごく強くって……。今日はお散歩に行く前に、私の靴をかじったから怒ったんだよ。ママがするみたいに、お鼻の先を、ぺしって叩いたの」
するといえやすは綾音に向かって初めてうなり、怒りを見せ、その後走って行ってしまったのだと言う。突然のことで、強く引っ張られると手からリードは離れてしまった。
（うーん。綾音ちゃんは子供だし、おうちの中で同格の子に怒られたって思ってへそを曲げたのかもね）
『そういうことなんだって。刀くん、犬派にいえやすちゃんならどう思うか、聞いてみてくれないかな？』

　ナンバーワンよりオンリーワンだ。何がいちばんか争うより。自分にとってのナンバーワンがあれば良い。邪衣士の演説はまだ続いていたが、ヘンテコ動物推しと言う回り道を経て実にまともなところに着地しようとしていた。しかしその回り道はあまりにも衝撃的で、聴衆の頭をダイナミックに揺さぶりすぎた。どうやってまとめようかと刀が思案しているときに、携帯が小さな振動を伝えてくる。桜庭円から、議論の発端となった迷い犬『いえやす』についてのメールだった。
『いえやすちゃんはわけがあって逃げたんだと思う。犬派の意見を参考にできないかな？』

『すまん、力になれそうにない。犬派がいないんだ』
「えっ？」
返信を受け取り、円は思わず拍子抜けた声を漏らす。
『いや、いるにはいるんだろうが……有効な意見が聞けそうにない』
「どうしたんですか、桜庭さん？」
折口ゆづきが心配に思って問いかける。
「うーん。会議をやってる人たちに犬派の気持ちが聞けたらと思ったんだけど……会議はなんだか変なことになってるみたい」
首を傾げる円の元に、新たな助っ人が現れる。元気よく駆け寄ってくるのは後木真央だった。
「円ちゃん！　真央ちゃんも犬探し付き合うのだ」
「真央ちゃん、助かるよ。この子、綾音ちゃんの飼い犬、いえやすちゃんを探してるの」
真央は小さな頭に手を置き、優しく撫でた。
「綾音ちゃんと言うのだ？　真央ちゃんは真央ちゃんと言うのだ」
「まおおねえちゃん、ありがとう」
小さな子供からの信頼と慕わしげな視線は真央をさらに元気付ける。自信ありげな笑みを浮かべて、真央は一行に提案した。
「真央ちゃんには考えがあるのだ……迷子になったら放送室なのだ！」