ラブ・インジケータの海色の光がステージいっぱいをきらきらと照らし出している。煌く光を背に戻って来た柚枝は、ステージ袖で待機するオルカ・ヴィヴァルディと獅子目 悠月に人懐っこく笑いかけた。
「ステージ、あっためといたぜ！」
「お疲れさま～」
「いい演奏だった」
　軽やかに笑い柚枝とハイタッチを交わすオルカの隣、悠月は静かに微笑む。
(……『愛』？)
　オルカに急に呼び出され、何事かと思ううちに水着に着替えさせられステージ袖に引っ張って来られた。
　――指名貰った途端、楽しそうだと思っちゃったんだよねー
　お揃いの水着に身を包みながらのオルカの言葉を思い出す。
　――悠月と一緒じゃなきゃ嫌かな～、ともねー
　悠月は滲みそうな笑みを押し殺すように榛の瞳を細める。相棒の駄々を渋々承諾したときの顔を装う。てらいのない相棒の言葉を思い出す毎に笑み崩れてしまいそうな頬に力をこめ、今から立つステージを見遣る。思案しようとする。
(歌への情熱ならいくらでも表現できるが……)
「愛を伝えるのは照れる？」
　内心をさらりと読まれ、悠月は傍らの男を軽く睨んだ。
　くっそ、と拗ねたように照れたように唇を噛む悠月を見下ろし、オルカは余裕の笑みを浮かべる。
「愛を伝えるなら任せてよ～」
　榛の瞳を捉えるように覗き込む。
「俺の出身を忘れた？　悠月」　
　陽気で情熱的なイタリア人の血を半分引くオルカは、なんだか難しいことを考えている顔の相棒にそっと囁きかける。
「……これはデートってことでいいのかな～？」
　二人で出掛ける機会はこれまでにも結構あった。けれど今回のこれは、互いの想いを確かめ合ってから初めてのお出掛け。すなわちデート。
　嬉しさに緩む顔で覗き込めば、悠月は言葉を詰まらせた。白皙を見る間に朱に染める悠月の様子に、オルカの胸は熱くなる。
　その上、たっぷりの沈黙の後、
「……そうだ」　
　低く囁かれてしまえば、
(ほんっとたまんない)
　胸から切ない息も零れようというもの。外でなければ、
(今すぐ抱き締めてキスするところだった)
「だからフラフラとナンパなんかするんじゃないぞ」
　本人は嫌味のつもりで放ったのかもしれない言葉も、オルカの耳にはどこか甘く聞こえる。
「Si,Mio Destino」
　俺の運命。軽口じみて本気の言葉を口にした途端、悠月は赤い顔をステージへと逸らした。
「……くっそ、調子が狂う」
　吐き捨てた言葉も、やはりどこか甘い。
　そのことに気づいて、悠月は軽く睫毛を伏せた。それでも深呼吸ひとつした後には、少年の顔はステージに立つ歌唱ユニット『Re』としての凛々しさを纏っている。
(どんなものであれ、)
　ステージに立つことへの妥協はしない。
　出番を知らされ、ステージへと歩み出す。オルカと同じ歩幅、同じ歩調で。軽やかなステップじみたオルカのウォーキングに対し、悠月はどこまでも優雅に。
　中央に立った瞬間、刹那の乱れもなく、ふたり同時にターンする。オルカは右回りに、悠月は左周りに。白を基調とした軍服風の衣装の裾を華やかに翻し、揃いの水着が審査員や観客によく見えるように。
(こうしているとトリエンナーレを思い出すな)
(トリエンナーレをちょっと思い出してわくわくするよね～)
　一糸乱れぬ動きで向き合った途端、ふたりは同じことを思い同じ笑みを浮かべた。
　同じ思いを抱いたことを互いに感じつつ、ふたりは敬礼するように客席へ向き直る。
「どうも～、オルカ・ヴィヴァルディです」
「獅子目悠月だ」
　朗らかに名乗るオルカに続き、悠月は手短に名乗る。それきり口を閉ざす悠月を笑み含んだ横顔で見遣り、オルカはあとの口上を引き継いだ。
「俺たち二人で【Re】っていう音楽ユニットで活動してるから、気になった人は調べてみてね」
　空色の瞳で鮮やかに笑ってみせてから、オルカはちょっと考える風をする。悪戯っぽく問いかける。
「どんな歌か気になる～？」
　なるなる！　聞きたい！　観客席から聞こえて来た女性の声にオルカはもう一度笑う。
「ありがとう、Gattino」
　手を振って応えるオルカの隣、悠月は小さく、優雅にロマンチックに一礼する。その頬には、自然と浮かんだ柔らかな笑み。
　タイプの違うふたりから向けられた謝意に、元よりふたりのファンだった女性たちが黄色い悲鳴をあげる。新たに心を掴まれた人々から拍手が起こる。
「突然のステージだったから準備ばんたんじゃないのは許して」
　日本人じみた仕草で両手を合わせてウインクするオルカからこそりと目配せを受け、悠月は小さく頷いた。
　突然のステージで何の打ち合わせもしてはいないが、
(お前の考えを当てるのは簡単だ、オルカ)
　悠月の瞳を見れば己の考えを易々と読み取ったことはすぐに知れて、オルカはまた笑った。ステージに並び立ったふたりは呼吸を合わせる。眼差しひとつで歌う曲を通じ合わせ、声を重ねる。
　歌うは、ネコフェスで最後に歌ったアカペラの歌。どこまでも声を重ね想いを重ねて歌い上げるその声に、観客は耳を澄ませて静まり返る。
(衣装もライトも楽しませる要素のひとつだけど)
　オルカは悠月を見る。
(すべてでもって表現するのも楽しいが)
　悠月はオルカを見る。
(そんなのなくても悠月とならどこまでも飛べる)
(お前とならこの身ひとつあれば十分だ)　
　歌声を、想いを重ね、ふたりは観客を見晴るかす。
(さあ、)
(この浜中に歌を響かせよう)

　太陽の金色を煌かせる空の色して輝くラブ・インジケータの光のもと、オルカは空色の瞳を細めた。
「愛を伝えたい相手なんて決まってるよね」
　低く、囁くように言う。
「Ti amo.」
　いつも向けて来るような優しい声と真剣な眼差しを真直ぐに受けた気がして、悠月はドキリと榛の瞳を瞠る。
「愛してるよ、会場のみんな～！」
　けれどオルカがまっすぐに向き合っているのは観客の方。大きな声で放たれる愛は客席に向けて。
　安堵すると同時にほんの僅か嫉妬して、悠月は束の間睫毛の陰を頬に落とす。途端、
(たまんないな、もう)
　悠月の複雑な想いを感じ取り、それをひっそり愛しく思っていたオルカから頬にキスを贈られた。
「あとでいっぱい囁いてあげるから」
　傍らにしか聞こえない声で囁かれた。
「おまっ……！」
　頬を押さえて混乱した声を上げる悠月の耳に届くのは、ファンの女の子たちのキャアキャアと騒ぐ声。オルカからの投げキッスに、女の子たちの声はますます高くなった。
「これくらいならファンサービスのうちだって～」
　くすくす笑うオルカの言葉は、確かにそうなのかもしれない。
(かもしれない、が……)
　こうまで感情が振り回されてしまうのは悔しい。それでもオルカからのキスは嬉しい。複雑な感情は一旦置いて、悠月は客席と向き合う。
(オルカのように軽くは言えないが)
　歌を聴いてくれた人に精一杯の感謝と愛を込め、悠月は丁寧に一礼した。
「……ありがとう」
　拍手と歓声に見送られ、歌唱ユニット『Re』のふたりは颯爽たる足取りでステージを去る。
　海から空へと舞い上がるようなラブ・インジケータの碧光の中を歩き、階段を下りる途中、
「本気のキスはステージを降りて、こっそりね」
　オルカに耳元に唇を寄せて囁きかけられ、悠月は言葉に詰まった。観客に聞きとがめられていまいか、もし聞かれていたとしてもファンサービスの一環だと思われるのか、思考が右往左往する。そうしながらも、心のどこかが期待に膨らみ弾むのを感じ取って、
(ああ、もう正直に認めよう)
　悠月はそっと息を吐いた。
(嬉しくないと言えば嘘になる)
　一途という言葉では足りないほどのオルカからの両手いっぱい心いっぱいの愛が嬉しくないわけがない。口づけにも抱擁にも、胸が熱くならないわけがない。
(だが)
　本人が隠しているつもりで隠しきれていない愛を全身に受けている悠月としては、
(一発くらい殴っても怒られないんじゃないか？)
　ステージ上で殴るのはとりあえず我慢するとしても。
(……だが、)
　本当は、俺だって。
　続く言葉を心の内でだけでも続けられない悠月は、ステージ裏の隅っこでオルカの頭を一発はたいた。ぺちん。