空にもお腹にも響くドラムの音に気持ちが弾んで、小山内 海はサンダルの爪先でとんと跳ねる。熱い砂の上でステップを踏むとますます楽しくなって、くすりと笑う。
(すごく盛り上がってるね)　
　どきどきと楽しいのは、音楽のおかげでもあるけれど、

(……がんばったもんね)
　夏を待ちかねて身に着けた水着のおかげでもきっとある。可愛い衣装は心まで楽しくしてくれる。
　サイドテールに結った髪を海風と音楽にふわふわ揺らし、海岸を見回す。ステージを見晴るかせる階段状の堤防に沿って、色んな露店も出ている。イカ焼きに焼きそば、練乳かけ放題のかき氷にタピオカドリンクにアイスクリーム。漂ういい匂いに鼻を向け、海はもう一度爪先を弾ませた。
(食べ歩きしちゃおうかな)
　楽しい気分に任せ、フライドポテトに串焼きに冷やしパイナップル、気になったものを色々と買い込みながら水着で砂浜を歩く。あれも買ってこれも買って、それだけでも楽しいのに、
(あっ……！)
　音楽に合わせて跳ねるひとや観覧スペースにパラソルを開いて寝そべるひと、露店巡りをするひとやビール片手に歩き回るひと、それぞれに楽しみ賑わう人込みの中、
(刀！)
　海にとっては見紛うはずもない男の子、御剣 刀を見つけた。思わず笑みが零れる。
　かき氷に焼きそばに、フランクフルトに海鮮串焼き。たこ焼きイカ焼き焼きとうもろこし。両手に食べ物をたくさん持ってご機嫌な刀を、海はちょっとの間こっそり後ろから眺めてみる。
　――うん海の幸ウメー！
　そんな風に思っているに違いないとてもいい笑顔で、刀は焼きとうもろこしにかぶりついている。
(海の幸じゃないよね)
　――いいじゃん、浜辺で美味しい物食べてるんだから全部海の幸だよ！
　内心に突っ込んで、刀の反論も想像してみる。
　――音も楽しんで、味も楽しむ、ネコミュージックフェスティバル最高だな！
　お祭りとなれば全力で楽しむ刀はきっとそんな風に考えている。
　――更に言うと目の保養にもなるのでホント最高です、ありがとうございます！
　きっとそんな風にも。だってさっきから可愛い水着姿の女の子とすれ違う度に視線で追いかけている。
(もう！)
　――いや、やっぱり男の子なのでこう周りが水着姿ばかりだと目がいっちゃうんですよハイ。
　お決まりな言い訳までが頭に浮かんだところで、海は数メートル先を行く刀のもとへと足を早めた。
(せっかく会えたんだし)
　追いかけているだけではつまらない。
　買い物の袋を提げた手を伸ばし、トントンと肩を叩く。なんだかギクリとした風に振り返る刀は、やっぱりなんだかやましい気持ちを抱えていたに違いない。
「うっ海！？」
何か言葉を伝えようとして、
(しまった)
　幼い頃に病気で声を失った海は唇をちらりと尖らせる。手提げ鞄に筆談用のスケッチブックも鉛筆も入れてはいるけれど、今は買いこんだもので両手が塞がってしまっている。まさか会うとは思ってなかったから、
(つい買いすぎちゃったかな)
　どうしようかなと同じように食べ物で両手が塞がる刀を見遣る。きょとんと瞬いてから、刀は海と肩を並べた。ともかくも並んで歩き始めながら、刀は自分の持っている食べ物を素晴らしい勢いで片づけ、
「ん」
　持つよ、と空いた手を差し出した。刀の食べるスピードには追い付けず、まだまだ両手に持っていた食べ物の袋を海は見下ろす。
(しょうがないか)
　おねがい、と小さく頭を下げて袋を手渡す。筆談用のスケッチブックを取り出していて、ふと気が付いた。刀の視線がまたふらふらきょろきょろしている。視線を追いかけてみれば、その先にはやっぱりまた、
(あ……ふーん、)
　ハイレグ水着姿の女のひと。シルクハットを被った胸の大きな女のひとは、どうやら移動遊園地の女支配人の風情ではあるけれど、
(……ふーん)
　海が今いちばんに気になるのはそれではない。刀の視線の先にくるりと回り込み、
『ねぇ、刀』
　短い言葉を書き込んだスケッチブックを水着の胸の前に掲げてみせる。
(私も今日は水着なんだけどどうかな？)
　言葉にせずとも言いたいことは伝わったらしい。刀はあからさまに焦った顔をした。あわあわと両手を無意味に動かす。
「いやー、もちろん海の水着もとっても良いです、目の保養になります食べちゃいたいくらい」
(……いかん)
　声にしてから刀は慌てる。ちょっと言い過ぎたかもしれない。現に海の白い頬が、頬どころかうなじまで見る間に真っ赤に染まっている。
「きょ、今日は人が多いし！　はぐれると不味いから！」
　つられて目元に熱を上らせながら、刀は水着姿の海から視線を逸らす。勢いに任せて手を伸ばし、ぐいと海の片手を掴む。
(相変わらず、……)
　剣の鍛錬に励む無骨な手で海の手を掴んでからまた焦った。海の手はやっぱり小さくて柔らかい。
　知らずドキドキする胸に眉をしかめつつ、刀はどこへ行こうかと視線を巡らせる。海を見てみれば、左右微妙に色合いの違う青い瞳は、ハイレグ水着な女支配人の移動遊園地に向けられていた。
「移動遊園地？　珍しいよな」
　頷く海の眼差しに促され、刀は海の手を引いて薔薇門の入り口を潜る。
「……これホントに移動遊園地？」
　門をくぐった途端に広がる移動遊園地の移動遊園地らしからぬ規模の大きさに刀は目を瞠る。回転木馬に観覧車、ミラーハウス。その他にもこまごまとした遊具がたくさん、白い砂浜に展開されている。
『すごい』
「ああ、すごいな」
　頷きあうふたりの視線が向かったのは、青空にそびえる小型観覧車。
　思いがけず人気の少ない白い砂浜の遊園地を、少年少女は手を繋いで蔓薔薇で派手に彩られた観覧車のもとに向かう。園内を何体となく巡回している着ぐるみ球体関節人形に案内され、待ち時間もなく観覧車に乗りこむ。
　行ってらっしゃい、と何故だかわくわくしているような顔つきの女支配人にも見送られ、ふたりの乗り込んだ籠はしばらくの空中散歩へと出発した。
　向かい合って乗れば膝が付き合いそうなくらいに狭い籠の中がゆらゆらと上る。
　海に膝をつつかれ、指さす方向を見れば、メインステージでパフォーマンスをするアーティストの姿が見えた。
「おー、中々見晴らしがいいな～」
　明るい声を上げる刀に海は頷く。寝子ヶ浜海岸のこのあたりでのこの視点は、普段ないからこそとても新鮮だった。
　とは言え小さな観覧車、あっという間にくるりと一回り。そろそろ下についてしまう。降りる準備をしようとして、
「あれ？」
　刀は眉をひそめた。扉を開けてくれるはずの着ぐるみも女支配人もにこやかに手を振るばかり。
「手を取り合って見つめ合ってねー。でないと出られないわよー」
　心底楽しそうに言う女支配人がまた遠くなる。
　観覧車二周目に突入しながら、ふたりは呆然と顔を見合わせた。
「……いや、いいけど」
　ぽつり呟いてから、刀は自分の手と海の手を見比べる。構わないは構わないけれど、なんだか緊張する。海もどこかしらドキドキしているように見える。

「海」
　恥じらって俯く海の手を取る。名を呼び顎を上げさせ、目を合わせる。
(あっこれちょっとヤバい)
　思いがけず心臓が高鳴った。
　手を伸ばせば海の細い肩やうなじや、滑らかなお腹や柔らかな腕に触れられる位置で、刀は焦る。照れくさいというのもある、けれど、
(アレだ、男の欲望的なアレで)
　ただし手を離して目を逸らせば観覧車からは出られない。心なしか潤む海の瞳を見つめ、ごくり、喉仏を鳴らしたところで、
「はーい、ありがとねー！　いいもの見れちゃったー！」
　感激したような声をあげる女支配人が籠の扉を開いた。ふたりはぎこちなく立ち上がる。
「出ようか？」
「もう一周する？　しちゃう？」
　ラブロマンスが見たくて堪らないらしい女支配人にわくわくと尋ねられ、刀と海は力いっぱい首を横に振った。