たどりつけ、魅惑の山頂グルメ！｜リアクション

たどりつけ、魅惑の山頂グルメ！

「こ、こんなはずじゃ……」

　くっ、と楡宮遠海は悔しげな顔をした。
　日はすでに傾き始めている。

　頭の中ではずっと、軽快なジャズが流れ続けていた。

　リズミカルなドラムを刻むコシの強いうどん。
　それをしっかりと支えるのは偽りなく透き通ったベースのつゆ。
　ぱらぱらっとかけた七味が軽やかなピアノの旋律を奏でてゆく。
　そこへドンッと力強く登場するのが、小粋に堂々としたテナーサックスのかき揚げだ。
　リズム帯にブレがないからこそ、管が輝く。遊び心を忘れず基本を疎かにしない三人に支えられて、センターを取るかき揚げが思う存分にソロをかき鳴らすのだ。

「これ……これ……！」

　このギグが、ずっと止まらない。
　サクサクとした軽快さ、だけでなく、ムーディさすら思わせるもちもち具合。味覚と嗅覚を同時にグッと満足させてくれるであろう一品が、楡宮を呼んでいる。

　偶然シーサイドタウン駅前でうどん屋のチラシを見てから、胸が踊って仕方なかった。
　それでライブに備えて燃料補給と、軽装にもかかわらずぐいぐいと山を登り始めたのだ。
　どうせ楽勝だろうと、タカをくくっていた。
　だが事前調査を怠った決行には大概痛い目がついてくるものだ。
　そもそも楡宮は壊滅的な方向音痴だ。それに加えてイノシシの襲来も、彼女の予期しないところだった。
　それでも彼女が足を止められないのは、このギグが、まるでマーチのように彼女を駆り立てるからだ。

「絶対……っ、諦めるもんか！」

　きっと睨み据えた先には、そろそろ顔なじみと言っても過言ではないイノシシが蹄で地面を蹴っている。

　こちらへ一心に突っ込んでくるのはもうわかっていた。
　動いたのはイノシシも楡宮も、ほとんど同時だ。

「その動き、見切ったッッ……！！」
　ひらりと身をかわして、イノシシの襲撃を交わす。イノシシの方は勢いがついて止まらない。
　そのまま楡宮にぶつからず、どこかへ走っていってしまう。

「ふぅ……」

　額の汗を拭ったところに、ぱっと視界がひらけてうどんの店がのきを構えていた。

「……待ちわびたわ……」
　まるで親の仇でも見据えるように鋭い目つきで入店する。
「い、いらっしゃいませ……」
　出迎えた若い女性はいくらか戸惑った様子だったが、空いている席へ楡宮を通した。
　メニューをばらりと開く。
　痩身にもかかわらず、楡宮の食いっぷりは半端ではない。
「とりあえず、ここからここまで。それからこっちも、これからここまでお願いします」
「えぇ、っと、お連れ様は……？」
「おひとりです」
「おひとりさまでいらっしゃいますか……」

　店員は更に戸惑いを深めたが、オーダーを奥へ通す。
　じきに出てきた熱々のうどんを前に、楡宮はパンッと手を合わせた。

「いただきます」

　ずるずるっと一気に麺をすする。
　またあのギグが始まる。想像と実物ではやはりずいぶん違った。より鮮明に、より鮮烈に、セッションがもう止まらない。

「おかわり！」
「おかわり！」
「あとこれも、追加でお願いします！」

　次々と飛ぶ楡宮の声に、とうとう人の良さそうなウエイトレスが深々と頭を下げた。

「お嬢さん、すみません。もうこれ以上は、他のお客様に出す分がなくなってしまいますので」

　そう言われてはたとテーブルを見ると、からになった丼がずらりと並んでいる。

「そう、ですか……」

　まだまだ名残惜しいが、良いジャザーというものは引き際を心得ているものだ。
「ごちそうさまでした。おいしかったです」
「いえ、また……そのうちいらしてください」
　ウエイトレスも流石に、いつでもとは言えないらしい。
　楡宮はにこりともせずに会計を終えて、店を出る。

「あー、美味しかった……」

　うどんとてんぷらを散々満喫して、ふとポケットが震えているのに気がつく。
　設定しておいたアラームだ。
「……あ！」
　楡宮は思わず声を上げる。
　ライブはすでに、始まってしまっていた。

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