たどりつけ、魅惑の山頂グルメ！｜リアクション

たどりつけ、魅惑の山頂グルメ！

「ふっ……」

　折河樹はチラシを手に山を仰いだ。
　彼の目には、九夜山の景色は他人と違って映っていた。
　さながらオリンポスか、はたまた、前人未到の魔窟か。
「九つの闇夜を司るかの山の頂きに、至高の美食……良いぞ、この俺を満足させるに相応しい舞台が整っている！」

　ビシッ！　と格好良く決めポーズをとる折河を、知人が「またか」と言わんばかりの目で眺めて通り過ぎてゆく。
　好物は鉄火丼に違いないが、昨今街をわかせるグルメには敏感だった。仮初にも作家志望、世の廃り流行りにはいくらか耳ざといのかもしれない。

「さぁ、俺を満たしてみろ！」
　勢いよく駆け出し、はるか山の山頂を目指す。
　名実ともに中二の体力は、彼の無謀を叶えるには有り余っていた。タッタッタとかけてゆくたび、街が小さく離れてゆく。

「む……」
　ふと、足を止めた。
　はるか前方に、巨大な岩のようなものがうごめいた。
　折河の顔がきゅっと険しくなる。
「鎮西の乙事主か……！」
　と巨大なイノシシをそう呼ぶのは、先日見たばかりのテレビの影響だ。
「いやいや、乙事主様と呼ぶほうが礼儀に叶うのか？　俺より年上だし、あんなに立派に育ってるんだし……」

　だがこちらの敬意など獣が知るわけはない。
　ずいぶんと機嫌が悪そうに、低く唸ってこちらを睨み据えている。

「乙事主さま、何をそう荒ぶっておられる……！」

　ぱっと声を飛ばすが、イノシシに人間の言葉など通じない。
　幾度か前の蹄で土を蹴ったと思ったら、バッと飛びかかってくる。
「まっ、……！　静まり給え！　我は天上にて神々が集いし館にて金色の穂より作られし神の糸（うどんの事）を食しに向かうだけである！」
　とっさに折河は手を前に出したが、イノシシは止まらない。
「待て、我らに闘う理由など……！」
　折河には無くとも、イノシシにはあるらしい。
「ぐわーーっ！！」
　ものの見事に吹き飛ばされて、気がつくと山のかなり下にまで戻されていた。
「クッ……」
　悔しげに顔を歪ませ、折河は膝をつく。

「我が祈祷、乙事主さまには届かずか！」
　だが、その程度で諦める折河ではない。

「くくく……まさかこの技をもう使うことになろうとはな……」

　印を結び、低く詠唱を始める。
　折河に言わせれば、己の気配は周囲の森に溶け込んで消えていったらしい。
　だが実際、先程よりはずっと物音が出ないやり方で山を登り始める。

「これこそ、我が身を闇に溶かす禁じられた呪法……！　不可視ノ行脚（インビジブルクライミング）！」
　だとか、そんなことを叫んだかもしれない。

　その後幾度かイノシシに遭遇するも、なんとかランチタイムがすぎる前には山頂にたどり着くことに成功した。

「ふっ、苦難は乗り越えるためにあるのだ！」

　と、格好良くまた山頂でもポーズを決める。
　幼い子供が見て真似しようとするのを通りかかった母親が止めていたが、折河が気付くことはない。

「邪魔するぞ」

　キリッと凛々しい顔をして店の暖簾をくぐる。
「はい、いらっしゃいませ。奥のお席へどうぞ」
　優しい笑顔で若い女性が出迎えた。
　出された冷たい水を飲めば、汗もすっと引いて心地よくなる。
「これこそまさに、神の美酒よ……ふふふ……」
　と意味深に手を組んだところへ、すかさず気を利かせたウエイトレスが水のおかわりをくれた。
「ご注文は何になさいますか」
「この店には、豊穣なる香りの金色の汁につかりし黄金の穂より作られし神の糸があるようだな。いただこう」
「カレーうどんお一つですね。辛さはどうなさいますか」
「あ、中辛で」
「かしこまりました」
　ウエイトレスはまた優しく微笑んで姿を消す。
　折河はまた腕を組んで、まるでワイングラスを持つように氷水を手にして優雅に口へ運んだのだった。

このページにイラストを設定する