新月の夜に～熱々おでんと、もう会えない筈のあの人と～｜リアクション

新月の夜に～熱々おでんと、もう会えない筈のあの人と～

　ふと気が付くと、おでん屋『星灯亭』の前に立っていた万条幸次。
（おでん屋で、青い提灯に暖簾なんて珍しいなあ）
　なんて思いながらも店内に足を踏み入れ、幸次は、
「こんばんは。大根とはんぺんと牛すじと玉子ください」
　と店員に声を投げてから、座れる席を探した。
　着物を着た小柄なおばあちゃんの隣が、ちょうど空いている。
「となり失礼します」
　おばあちゃんは、ゆっくりと顔を上げ、幸次を見た。
　年の頃は、８０歳くらいだろうか。
　優しそうな眼差しと雰囲気を持っているから、愛らしい桜色の着物がよく似合っている。
　異国の血を引いているのか、青色に澄んだ目。それが、ふうわりと和らいだ。
「ええ、どうぞ」
　席に着く。グラスに入った水と、熱々おでんの皿がすぐに届いた。
　先ずはと大根にかぶり付いたあとで、幸次は、ちらとおばあちゃんの方を見遣る。
　おばあちゃんが、にこにことして自分を見つめているのが、気になったのだ。
「えっと……おばあちゃんは近所の人？」
「私？　私はね、ちょっと遠くから来たの」
「へえ、大変ですね。お身体、大丈夫ですか？　あ、俺は寝子高に通ってる高校生です」
　高校生、と、おばあちゃんは感じ入るように繰り返した。
「もう、高校生にもなるのね」
　幸次は、内心に首を傾けた。
　まるで、自分のことをよく知っているような言い様ではないか、と。
（ああでも、中学生と思われてたのかも？　偶にあるんだよね）
　小柄で童顔、とくれば、そういう扱いを受けるのは、ものすごく珍しいことでもない。
　ひとりでに納得した幸次へと、おばあちゃんが尋ねる。
「高校生活は、楽しい？」
「あ、はい。高校進学で島に引っ越してきたけど、友達と遊びに行ったり、猫の写真撮ったり、楽しんでるよ」
「そう。そうなのね。お勉強は？」
「勉強？　……まあ、頑張ってる、かな……」
　期末テストの英語が０点だった事実は黙っておくことにした幸次である。
　それにしても。
（やけに俺の事聞いてくる人だなあ。嬉しそうに聞いてるし、話を聞くのが好きなお年寄りなのかな）
　そこまで考えたところで「そうそう、」と、幸次は目の前のおでん達のことを思い出した。
（おでんも食べないと。暑いけど、こういう時期のもおいしいね）
　はふはふと食べ進めていくが、玉子は最後まで取っておくのが幸次流。
　白身だけ剥がして食べて、残った黄身は――、
「お汁に溶かして飲むのよね」
　おばあちゃんが、懐かしむように言った。
　幸次の方は、びっくりして声が出ない。
　おばあちゃんは、幸次の狼狽を余所に、口元に穏やかな笑みを湛えて、
「小学生の頃から、変わらないのね。お行儀が悪いって、おうちでお母さんに怒られていたのに」
「っておばあちゃん、なんで俺の食べ方も怒られたことも知ってるの！？」
　やっと、疑問が言葉の形を得た。
　おばあちゃんは、青い目を素敵に煌めかせて、ふくふくと笑っている――。

（青い瞳、ふわふわした髪、小学生の頃の思い出……もしかして、花見？）
　花見というのは、幸次が小学６年生になる春に、幸次達の家族になったもふもふの白猫だ。
　迷い猫だった花見の名前は、『次の年に桜を見よう』と、そんな想いから付けられた。
　けれど年老いていた花見は、小学校を卒業する前に、この世を去ってしまったのだ。
（……やっぱり、花見な気がする）
　どうにもそんな感じがしたけれど、いざとなると、驚きと嬉しさと緊張で、幸次は固まってしまった。
　それでも、おばあちゃん――花見は、にっこりと笑んでいる。

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