もしものわたし｜リアクション

もしものわたし

　弥逢遊琳は、京都に位置する実家の甘味処で、今日も和菓子を作っている。

　遊琳は、弥逢家の姉妹の中で、唯一の男子だ。
　故に自然と湧いて出た甘味処を継ぐ話に、遊琳は異を唱えなかった。
　遊琳には、夢がない。
　一方の姉妹達には、それぞれに夢があった。
　そして遊琳には、それを踏み躙り、潰してしまうなんてことは出来なかったのだ。

　遊琳は、もうすぐ１８歳になる。結婚ができる年齢だ。
　１８歳を迎えたからといって、婚約者の七辻舞夕（ななつじまゆう）との結婚が急がれるかはわからない。
　ただ、上の妹は、楽しみだと面白そうに囀っていた。けれど。
（この結婚も僕も、空っぽだ）
　同い年の幼馴染みである舞夕との婚約は、両親同士の仲が良かったことに起因する。
　生まれた時から、将来結婚を、という口約束が、遊琳の身には刻まれていた。
　舞夕は、学校は勿論、華道・茶道・舞踊と習い事も遊琳と一緒だった。仲だって悪くない。
　問題を挙げるとするならば――彼女は、遊琳の３歳上の姉である琴花に恋をしている。
（舞夕は昔と変わらない。おっとり加減も、姉様への想いも）
　舞妓の先輩である琴花を、舞夕は今も、焦がれるような眼差しで見つめている。
　それが叶わぬ恋だと知っているから、舞夕は寧ろ、親同士の口約束に否を叫ぼうとしなかった。
（僕と結婚すれば、姉様の家族にはなれる）
　そして、いつか子供が出来たなら。
（その子が僕に似れば、それは、姉様にだって似ることだものね）
　そこまで明言されたかは、もう忘れてしまった。
　けれど遊琳の中で、その認識は、くっきりとした輪郭を持っている。
　何も知らない姉は、舞妓から芸妓へ近づき、妹達も、各々の夢を追って生きている。
　昔から、姉妹の中で夢が無いのは遊琳だけなのだ。
　遊琳はふと、水面に雨の滴が垂れたようにして、ある物を思い出した。
　――志望校の記入用紙。
　心の水面に、幾重にも記憶の波紋が広がる。
　あれはもう、３年近く前のことだ。
　衝動的に府外の高校の名前を記入しようとしたのを、遊琳は覚えている。
　結局は、その衝動を淡雪のように溶かして、それまで通り、姉と同じ学校名を記したのだけれど。
（もしもあの時、別の選択をしていたら。僕は今、どういうふうに生きているんだろうね）
　だがそれは、考えても意味のないことだ。
　遊琳はすぐに、その羽毛のように軽やかな空想を忘失した。
　姉の身代わりばかりさせられていた習い事は、今は止めた。
　その代わりに、和菓子のことにしか関心が無いような父に、日々、手ほどきを受けている。

　――素晴らしい和菓子ですね。
　――こんなに美しいのに物寂しさも感じさせるなんて、新しい。
　――これ１つで、侘び寂びを体現している！
　遊琳の手が生み出す和菓子は、人によく褒められた。
　けれど人々の褒めそやす声が意味するところが、遊琳には何のことだかわからない。

　遊琳はただ、今日も和菓子を作っている。