もしものわたし｜リアクション

もしものわたし

　フランスで、そして寝子島で。
　出会いを重ねて自分は変わったと、タイラ・トラントゥールは思う。
（だがもし、それらの出会いがなければ……）
　その《平行世界》の自分は、どうなっているのだろう？
　これはその、もしもの世界のお話。

◇

　タイラの周囲の人間は、タイラの役に立つ人間とそうではない無能に分かれる。
　それは、厳然たる事実だった。
　少なくとも、タイラという少年の生きる世界の中では。

　学校からの帰り道には、耳障りな雑音が満ちている。
　友人同士、楽しげに囀り合いながら帰路に着く、無能の群れ。
　苛立ちに、タイラは、内心に舌を打った。
（馬鹿らしい。友人など必要ない。そんなものがいったいなんの役に立つというんだ）
　無能な友など居なくとも、タイラには従兄が、兄様が居る。
（そう、ボクはただ言われたことをこなせばいいだけだ。兄様の従順な人形であればいい）
　だからタイラは、今日もひとりで、フランスの街並みを行く。
　タイラの心は、いつも、従兄が丁寧に作り上げた、堅牢な鳥籠の中だ。
　そこでタイラは、従兄から餌が与えられるのを待っている。
　鳥籠から臨める世界には、従兄と、家族と、その他大勢しかいない。
　そこで一体、供される餌以外に、どんな望むものがあるだろう？
（例えば、『もしも』それ以外の道があったとして、）
　――そんなものはボクにとって、お伽噺と大差ないのだから。
　籠の鳥は、お伽噺の夢を見ない。
　そんなものはあっても無駄で、邪魔で。
　そして恐らくは、目覚めたあとの自分を、何故だか、酷く空しくさせるような、そんな予感がする。

　学校から家に帰れば、すぐに、本家への呼び出しがかかった。
　従兄からの――兄様からの呼び出しだ。
　拒否権はないし、それを拒もうとする意思も、タイラの中のどこを探しても存在しない。
　無意識に、首に触れる。
　シャツの下に隠れているそこは、従兄に贈られたチョーカーに、密やかに彩られていた。
　――そのチョーカーは、動物が付ける『首輪』に、とてもよく似ている。

　本家から帰還したあと。
　自室にて、タイラは、ぼんやりと思考した。
（今日の兄様は、なんだか機嫌が悪いみたいだったな）
　タイラの態度が気に食わないと言って、服で隠れる部分に、幾度となく鞭が飛んだ。
　彼の気が済むまで、何度も、何度も。
　今も、じくじくと、身体の色々なところが痛んでいる。
　その訴えを綺麗に無視して、タイラは自動人形のような無機質さで寝支度を済ませ、ベッドに入った。
　そして――籠の中の鳥は、夢を見る。
　その夢の中のタイラは、こことは違うどこかで、知らない誰かに振り回されていた。
　傍に誰かが居る。
　その誰かを、タイラは怒鳴ったり、或いは必死に追いかけたりしているのだ。
（みっともない姿だ。夢の中とはいえ、こんな恥を曝すだなんて）
　そんな姿は御免だと、苦々しく思う。
　ああ、兄様がこの姿を見たら、なんとボクを罵るだろう？
　無様だ。滑稽だ。馬鹿馬鹿しい。
　それが、従兄が吐き捨てる感想だろうし、タイラが抱くべき感情でもあるはずだ。
　そうあることこそを正しいと、タイラの兄様は言うだろう。なのに。
（――この、胸に灯る温かな熱は何だ？）
　それの存在に気付いたところで、ふっと、目が覚めた。
　布団にくるまれたままで、考える。
　今のは、何だ？　あの、感じたことのない熱の正体は？
　夜闇の中――タイラは露草色の双眸から、微かに熱を帯びた涙を零した。
（判らない。ボクには、判らない……）
　ただ判るのは、「夢の中のボクは大切な誰かと一緒だった」という朧気な記憶だけ――。
　籠の鳥は、お伽噺を知ってしまった。
　未だ失われていない身体の痛みを忘れるほどに、胸がぎしと軋む。
　どうしようもなく苦しい夜が明けるのを、タイラは、祈るような想いでただじぃと待った。

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