もしものわたし｜リアクション

もしものわたし

　ここは、寝子島ではない、日本のどこか別の町。
　恵御納夏朝は、この町の共学の学校に通う、普通の高校生だ。

「では、この文章を……恵御納さん、読んでもらえるかしら？」
　古文の授業でのこと。
　黒板にカリカリとチョークを走らせていた先生が、振り返って夏朝を見る。
　夏朝は、「はい！」と元気よく返事をして立ち上がり、すらすらと該当の箇所を読み上げた。
（昨日、予習したところだ。良かったぁ）
　席に着き、ほっと胸を撫で下ろす。
　後ろの席の友人が、ちょいちょいと夏朝の背中を指で突いて、
「夏朝、すごいじゃん」
　と、また解説に戻った先生にばれないように、小さな声で言った。
　顔だけでほんの少し振り向いて、ブイサインを作る代わりに小さく目元を和らげる。
　平和な日常が、そこにはあった。
（前の所ではいろいろあったけど……勇気を出して、よかった）
　中学に入学後、夏朝はいじめに遭っていた。
　耐え切れなくなって、両親に全てを話したのが、夏朝の転機だ。
　その結果、父親の再転職に合わせる形で、夏になる前に引っ越し・転校した夏朝。
　今は、何でもないけれど平穏な高校生活を、のんびりと恙無く送っている。

「っていうか、今日の夏朝、ほんと冴えてたよね」
　放課後。共に家路を辿りながら、後ろの席の友人がしみじみと言った。
　その言い様に、優しく苦笑する夏朝。
「そんなすごいことじゃないよ。丁度、昨日予習したところが当たっただけだから」
「いやー、でも、感謝だよ。夏朝が答えられなかったら、あたしに回ってきてたもんね」
「今日やったとこ、難しいよな。俺も、回ってきたらヤバかった」
「え、ゆっち、古文得意じゃん」
　こちらも帰り道が一緒の友人――皆にはゆっちと呼ばれている――へ向けられた言葉に、
「うん。僕も、何度も教えてもらってるし……」
　と、夏朝は、同意を示した。
　どうしたんだろう？　という心配が顔に出ていたらしい。
　ゆっちは、「実は……」と、はにかんだような表情で、事情を語った。
「母さん、今、妊娠してて。それでちょっと、勉強どころじゃないっていうか」
「大変なの？　大丈夫？」
「ありがと、恵御納。何とか大丈夫……なんだけどさ」
　弟や妹ができるのか～って思ったら勉強中も気が散りまくりで、とゆっちは笑う。
　夏朝は、真面目な顔でこくこくと頷いた。
「僕、その気持ち、わかるかも」
　夏朝には、小さな弟がいる。
　彼の愛らしさを思うと、ゆっちの心持ちはよくよく理解できるような気がした。
「で、さ。なんか、双子らしいんだよね、俺のきょうだい」
「双子……かぁ」
　すごいね、と応じて、夏朝は暫し、心を空想の世界に飛ばした。
（僕が双子だったら……姉？　妹？　はどんな子だったんだろう？）
　自分よりしっかりした子な気がする、なんてところまで考えて、
（……まぁ、僕は双子じゃないから、想像上の話にすぎないけどね）
　と、夏朝は、自身の想像の飛躍に、内心で苦笑いをした。
「そういやさ、夏朝、猫好きでしょ？」
「え？　うん、大好きだよ！」
「だよね。なんか、寝子島って所にさ、猫、沢山いるらしいよ」
「うん、僕も聞いたことある。そこの高校に入る事も考えたけど……」
　弟もまだ小さいし、両親への負担が大きいかな、と思うと、候補には数えられなかった。それに。
「僕……この町が大好きだから！」
　気付けば、もう、家の前まで辿り着いていた。
「それじゃ、また明日ねー！」
「おう、また明日―！」
「明日も古文、よろしくねー！」
　友人達と別れて、玄関のノブに手をかける。
（今日も楽しかったなぁ……３人とも、もう帰ってるかな？）
　口元は、自然、笑みを形作っていた。
「……ただいまー！」
　声弾ませれば、「おかえりなさい」の声に出迎えられる。
　そんな、何でもない、幸せな一日。

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